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景福宮(キョンボックン)、光化門(クァンファムン)一帯の復元工事現場から壬辰倭乱(文禄の役)以前に建設されたと推測される大型建築物の建立跡が発見された。
18日、文化財庁国立文化財研究所(所長:金奉建)によると、この建物の跡は東西対称の造りになっている大型建築物(東西:11.2メートル、南北:50メートル)のあった場所で、「朝鮮王朝実録」の世宗16年(1434年)に出てくる‘議政府(ウジョンブ)と六曹官吏が入直または待機していた弘礼門(光化門と勤政殿の正門である勤政門のあいだにある門)の外の東・西廊(屋根のある長い廊下)’であると推定されている。
一方、光化門の東側にある宮城(宮廷を囲む城壁)と弘礼門の東・西廊から景福宮南側の宮城に続く内部の塀(南北方向)や用成門と協生門があった場所も一緒に発掘された。
金所長は「まだ明らかになっていない景福宮の初期の姿を推測できる貴重な資料になる」とし「一緒に発掘された東側の宮城跡は基礎部分が完璧な状態で残っていることから、朝鮮時代の勇壮な宮城を想像できる」と説明した。
写真は内部の塀の西側にある用成門の場所と朝鮮前期の建物の跡。
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