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金正日総書記、南北関係に悩む?



北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長が03年に交通事故で亡くなった金容淳(キム・ヨンスン)元朝鮮労働党書記(対南担当)を切実な思いで回顧していると朝鮮労働党機関紙「労働(ロドン)新聞」が17日、報じた。

「真の革命家、実力者を育てた偉大なる方」という長文の記事を通じてだ。北朝鮮のメディアが、金委員長が回顧した人物に触れるのは稀なことだ。北朝鮮のインターネット上のメディア「わが民族同士」によると、労働新聞は「敬愛なる将軍様は今日も彼(金元書記)のことを忘れられず、頻繁に回顧している」「今年8月のある日にも将軍様は彼の名に触れ…彼が死亡しなければ今ごろ大きな役割を果たしていたはずだと痛惜の念を禁じえなかった」などと伝えた。


同紙は続いて、金委員長が金元書記を国際部副部長に抜擢した後、同氏に「職責を受け入れた後、初めて感じた恐れや責任感が冷めていくとしたら、それはすでに変質されていく過程だ」と強調したと伝えた。また同紙は、金元書記が84年に数カ月間にわたって解職された事件にも遠まわしに触れ「彼が過誤を犯した原因は初心を忘れたところにある」と指摘した。

国家安保戦略研究所のイ・キドン責任研究委員は18日「これは金委員長のいわゆる‘広幅政治’(度量の広い政治)‘仁徳政治’を示し、幹部に忠誠を督励するものだ」と説明した。特に金委員長が回顧したという「今年8月」は、金委員長が北朝鮮の各メディアから姿を消した時点だ。このため、金委員長の長期間にわたる「非公開活動」に内心、疑念を抱いたかもしれない幹部らへの警告も含まれているのでは、という見方も出ている。

しかし忠誠を尽くした多くの人物の中で、なぜ対南担当だった金元書記を取りあげたのかをめぐって、別の解釈もある。金元書記は98年に現代(ヒョンデ)グループの故鄭周永(チョン・ジュヨン)会長と金剛山(クムガンサン)綜合開発事業の書面契約を締結した「対南交渉派」で、南北(韓国・北朝鮮)経済協力を主導した人物だった。2000年には金委員長の特使としてソウルを訪問したこともある。

統一研究院の全賢俊(チョン・ヒョンジュン)研究委員は「こじれてしまった南北関係に対する金委員長の悩みの一端を示すようだ」とし「今後、北朝鮮の動きを見なければ分からないものの、‘対話を中断したのは韓国だから韓国が先に動けば、対話の可能性がある’と探りを入れる、隠れたメッセージが込められているのかもしれない」と話している。



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