|
「冬至師走の長い長い夜が短いのは…ああ、枝の多い木に風が吹くように/母の胸には波が激しく立つ」という大衆歌謡「慕情の歳月」は、かつて酒の席で懐かしい母を思い出しながら歌われた。 息子を思う母の気持ちを「枝の多い木に風が吹くように」と表現した。
歌は風と木を母の愛に例えているが、過去の東洋の古典ではやや違う。 『韓詩外伝』という本に出てくる風と木はこうだ。 「木は静かになろうとしても、風が止まない(樹欲静而風不止)」。 次の文は「子がもてなそうとしても親は待ってくれない(子欲養而親不待)」となる。
生と死に分かれる親と子の関係ほど哀切なものはない。 それで東西古今を問わず親に最善を尽くしていない子の後悔は多くの文人が好んで書く素材だった。
『韓詩外伝』のこの言葉は、親をきちんともてなしていない子の強い悔恨を表現する一節として定着した。 時々「風木之悲」または「風樹之嘆」などの成語式表現でも使われる。
しかし前の節の「木は静かになろうと…」は、子の足りなかった孝行よりも、状況が自分の意に反した方向に発展する場合を言うのにもっとよく使われる。 どんなに努力しても逆へいく状況に対する切なさと寂しさだ。
世界的な経済危機をどう乗り越えていくのか、最近、韓国社会の構成員は昼夜心配している。 政府は政府なりに、企業は企業なりに、庶民は庶民なりに、類例のない経済危機の前で気をもんでいる。 前途は長いが日が暮れる「日暮途遠」の局面だ。
しかし時間に関係なく政界の風は吹きつける。 特に野党は姜万洙(カン・マンス)長官の「憲法裁判所接触」発言の是非を問うのなら静かにやるべきだ。 ピケットを持って国会の外でデモを繰り広げながら「弱点をつかんだ」というように問題にするのは政略的な行動としか映らない。
政府と与党がこのように騒ぐ状況でも今は集中が必要だ。 政界の和合はそれで重要になる。 野党はただの政略のためであるのなら風を起こしてはならない。 静けさが必要な韓国という木に意味のない風が吹けば虚風(法螺吹き)扱いを受けるだけだ。
この記事を読んで…