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【噴水台】小浜市



「海は人をつなぐ母の如し」。日本福井県の閑静な村にある碑石にハングルと日本語で刻まれた言葉だ。 碑石が建てられた理由はこうだ。1900年1月、朝鮮の商人93人を乗せた木船1隻がこの村に漂流してきた。ウラジオストクで物を売買し、咸境道明川(ハムギョンド・ミョンチョン)に戻る途中、風浪に見舞われてから半月後のことだ。 住民は飢えた船員にご飯を食べさせ、傷を治療し、8日後に無事に帰国できるよう手助けした。 話が通じず漢文で筆談を交わした船員と住民は別れる際、お互い抱き合って涙を流したという記録が伝えられている。 村の住民はこうした草の根の民衆の交流を歌にして児童に教えている。

この漁村がいま世界のメディアを通じて有名になっている小浜だ。 昔から水産業が発達し、日本の朝廷に進上した干しサバなど美食の地方として知らされていたが、人口3万2000人の静かな漁村という事実は昔も今も変わっていない。


2度目の韓半島との縁は悪縁だ。 78年7月、小浜の海岸で23歳の青年、地村保志さんが婚約者とともに行方不明になった。 地村さんの車は海浜の展望台でキーがついた状態で発見された。 後に男女は北朝鮮工作員に連行されたことが確認され、2002年、拉致から24年後、中年夫婦となって帰ってきた。 この事件も海を挟んで韓半島と向き合う地理的条件から始まったものだった。

バラク・オバマ米次期大統領が麻生太郎日本首相との電話で「日本の小浜村を知っている。行ってみたい」と話したという。 小浜市当局はこの機会に大統領就任後の訪日時に立ち寄ってほしいと招請する勢いだ。 現地では当選者の顔をあしらった観光商品が次々と出てきた。 偶然名前が同じだったこと以外に何の縁もないところで起きている現象であり、付和雷同ともいえる。 しかし見方を変えれば、転がり込んできた幸運を逃さず地域発展のきっかけにしようという努力の一環でもある。 その根底には、常に海の向こうの世界との交流の綱を放さなかった小浜市民のコスモポリタン気質があると言えば行き過ぎた解釈だろうか。 そういえばオバマ本人こそがお互い異なる人種と国籍の親から生まれ、宗教が異なるインドネシアで幼い時期を過ごしたコスモポリタンではないか。



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