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金大中夫人の李姫鎬さんが自伝『同行』を出版(2)

次は本の主な内容をまとめたもの。

李姫鎬(イ・ヒホ)氏と金大中元大統領(キム・テジュン、DJ)の結婚式の場面。結婚式は62年5月10日、ソウル鐘路区体府洞(チョンノグ・チェブドン)にあった李氏の叔父、李元淳(イ・ウォンスン、全国経済人連合の創立メンバー)氏の韓式住宅の前庭で行われた。

◇愛と別れ=「卒業のころ、勉学同志会のメンバーのひとりが桂勲梯(ケ・フンジェ)氏を紹介してくれた。私は彼が求める夢にひかれた。解放されたばかりの祖国を熱く愛した青春として、敢えて男女間の愛でなくても、同志的な結婚も可能だと考えた。そうした彼が肺結核を発症した。米国への留学と憐憫(れんびん)の情の間で悩んだ。私は長い苦しみと戸惑いの末、彼のもとを離れた」。


◇DJ、YSの比較=「私が長い間見てきた2人は独裁の前では同志であった。しかしその他の問題では‘水と油’のような仲だった。軍事政権以降、金大中(キム・デジュン)氏は在野と監獄で、金泳三(キム・ヨンサム、YS)は‘制度圏’と自宅で、それぞれ独裁と闘争した。東橋洞(トンギョドン、金大中氏の自宅のある所)の人々が‘どう生き残るか’という生存の問題に直面したとすれば、上道洞(サンドドン、金泳三氏の自宅のある所)の人々は‘どう生きていくか’という生存方式について悩んだ。秘書らの進路も異なった。東橋洞は主に監獄へ、上道洞は多くが国会へ向かった。両氏は支持の基盤まで東西に分かれていて、追従する勢力も二分された。私は2人を同じ時代、同じ舞台に立たせた、見えない手のイタズラが真に意地悪に思えた。性格も違った。ひとり(YS)は裕福な家庭で成長し、単純かつ愉快で即興的な感覚のある政治家だった。もうひとり(DJ)は立志伝中の人物で強い執念を持っており、論理と原則を重視した」。

◇82年、全斗煥大統領との出会い=「‘(DJの)釈放は難しい。しかし今後よくなるだろう’2時間足らずの会同だった。全大統領が‘韓国は非常に正義に満ちており自由だ’と平然と語るから、‘違う’という反証として兄(故イ・カンフン氏。証券業協会会長を務めたが、DJのために任期中に辞任した後、軍事政権の下で不利益を受けつづけた)のことに触れた。死刑にしようとした‘首魁’の妻を相手に、近所の不動産屋が主婦に語りかけるように応対していた」。

◇92年、政界引退の前夜=「‘私がすべきことはここまでのようだ。そろそろ政界を離れたい。私が話す言葉を書いてほしい’彼の悲壮な決定に私は言葉を失った。彼が口述するのを私は書きはじめた。きちんと書こうとしたが、涙が紙の上に落ちた。うつむいて泣く私の姿が寂しく思えたのか、夫が手を握った。‘80年に死刑判決を言い渡された当時を考えれば、このぐらいのことは笑いごとと言える’彼はむしろ私を慰めた」。



金大中夫人の李姫鎬さんが自伝『同行』を出版(1)

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