日本早稲田大文学部、出版社の編集者を経て作家の道に入った沢地氏は、戦争資料を調べている途中、1942年のミッドウェー海戦の正確な戦死者数と名簿がないことに気づいた。 沢地氏は翌日から米国立公文書館、米日戦友会、米国と日本の戦死者墓地を訪ねながら正確な戦死者名簿を作成した。 これまで確認された戦死者は日本側3057人、米国側362人。 遺族と会って戦死者の生涯と夢、日本が起こした残酷な戦争の実像を一つひとつ記録した本が『滄海よ眠れ』『記録ミッドウェー海戦』だ。
沢地氏はこの本で、ミッドウェー海戦で勝利した米国は34人の日本軍捕虜を返したが、日本軍は30余人の米軍捕虜を殺害したことを日本社会に知らせた。 米軍捕虜の虐待に加わった人たちに直接会い、当時の日本軍の蛮行を暴露した。 沢地氏はこの2冊の本で86年、日本の有名な文学賞である菊池寛賞を受賞した。 沢地氏は今でも「九条の会」会員と全国を回り、戦争の弊害と日本政府の再武装を警告する講演を行っている。
沢地氏はこの本で、ミッドウェー海戦で勝利した米国は34人の日本軍捕虜を返したが、日本軍は30余人の米軍捕虜を殺害したことを日本社会に知らせた。 米軍捕虜の虐待に加わった人たちに直接会い、当時の日本軍の蛮行を暴露した。 沢地氏はこの2冊の本で86年、日本の有名な文学賞である菊池寛賞を受賞した。 沢地氏は今でも「九条の会」会員と全国を回り、戦争の弊害と日本政府の再武装を警告する講演を行っている。
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