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李承燁(イ・スンヨプ、32、読売)が2008北京オリンピック(五輪)出場を決心したことの裏には、朴賛浩(パク・チャンホ、35、LAドジャース)の助言があった。
朴賛浩は31日、ソウルロッテホテルで開かれた帰国会見場で「北京五輪前、李承燁(イ・スンヨプ)に‘必ず出場すべきだ’と助言した」と明らかにした。
この日午前、仁川(インチョン)空港に入国した朴賛浩は「李承燁がチームの事情で五輪出場について悩んでいた時、電話で話した」とし「李承燁が優勝に貢献したので、先輩として有難く思ったし、誇りに思った」と話した。 当時、李承燁は前半の不振、球団の反対、日本関係者の熱い視線のため、出場するかどうか悩んでいた。
朴賛浩は太極マークを付けられなかったが、代表チームへの支援は惜しまなかった。 朴賛浩は「五輪前、金卿文(キム・キョンムン)代表チーム監督が電話でカナダなどの戦力を尋ねてきたが、十分に回答できず申し訳なかった」とし「むしろそうだったから優勝までできたのかもしれない」と冗談を言った。 朴賛浩は五輪優勝について「WBC4強よりも一段階高い活躍だった」とし「日本人選手に‘勝って申し訳ない’と話す余裕もあった」と語った。
かつて引退危機に追い込まれた朴賛浩は、今季メジャーリーガーとして再起した。 徹底的に体を管理し、以前の体力と球威を取り戻した。 ‘やれる’という前向きなマインドを持ったことも大きかった。 妻と子どもも貴重な力になった。 朴賛浩は「最善を尽くしてチャンスをつかみ、成功できた」と自らを評価した。
朴賛浩は球速が増した理由について「短距離走中心のトレーニングで下半身を鍛え、弾力とバランスが良くなり、山参(天然の高麗人参)成分エキスと妻の栄養メニューでコンディションを調整した」と明らかにした。
朴賛浩は約1カ月間、韓国に滞在しながら、朴賛浩旗全国小学校野球大会、奨学金伝達式などの対外行事、知人・親せき訪問などの個人日程を終えた後、米国に戻って来季に向けたトレーニングに集中する予定だ。
朴賛浩は来年3月に予定された第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)について「先発契約を結べば1年契約になるので出場は不可能になりそうだ」と語った。 第1会大会出場後、スプリングキャンプで先発をチームの新人に奪われた苦い記憶もある。 しかし「2年契約になれば出場したい」とし、出場の可能性も残している。
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