こうした難局を突破するために金日成主席の下した結論は米国との関係改善だった。中国がこれを通じて台湾問題を一挙に解決したように、米国との関係が正常化されれば対韓国関係でも逆襲して戦うことができると判断したのだ。
これによって金日成主席は中国にしきりに仲裁の役割を要請した。金日成主席は78年、華国鋒元主席との会談で対米直接交渉と南北連邦制意志を明らかにした。しかし華元主席は何の言及もしなかった。揺らぐ朝中間友好協力ばかり強調した。すると金日成主席は81年、鄧小平元国家主席との会談ではもう少し露骨に仲裁を依頼した。「我々は必ず米国と手を握らなければならない。中国が朝鮮、米国関係改善に協調してくれることを望む」と要請した。しかし鄧元主席は金日成主席のこのような要求を固く拒否した(オ・ジニョン『金日成時代の中ソと南北韓』)。
これによって金日成主席は中国にしきりに仲裁の役割を要請した。金日成主席は78年、華国鋒元主席との会談で対米直接交渉と南北連邦制意志を明らかにした。しかし華元主席は何の言及もしなかった。揺らぐ朝中間友好協力ばかり強調した。すると金日成主席は81年、鄧小平元国家主席との会談ではもう少し露骨に仲裁を依頼した。「我々は必ず米国と手を握らなければならない。中国が朝鮮、米国関係改善に協調してくれることを望む」と要請した。しかし鄧元主席は金日成主席のこのような要求を固く拒否した(オ・ジニョン『金日成時代の中ソと南北韓』)。
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