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<金正日死亡説>5年前に死亡…今は影武者(2)



--金委員長はいつ死亡したと考えているのか。

「意図的にあいまいに記述した。 金委員長は03年初めに糖尿病が悪化して死亡し、その後‘影武者1号’が活動した。 03年9月から現在までは‘影武者2号’だ」


--死亡と影武者についてもっと具体的な証言はないのか。

「金委員長の子どもたちはAに何度か『父が亡くなった』と話した。 『それならなぜ長男の金正男(キム・ジョンナム)が後継者にならないのか』という質問に対し、ある子どもは「現指導部は影武者が死亡するまで後継者を決めようとしない』と答えた。 長女の金雪松(キム・ソルソン)は03年、しばらく金委員長の現地視察に同行し、後継説が浮上した。 金雪松は‘影武者1号’の指導役を担当したが、糖尿で倒れた後、2号とはあまり合わずにやめたというのが真実だ」

--金委員長が03年初めに糖尿病で死亡し、影武者1号も同じ年に同じ病気になったというのは、あまりにも偶然ではないのか。

「食べるものが同じだったから」

--Aの証言以外に金委員長の死亡・影武者説の根拠はあるのか。

「最近、中国情報機関に詳しい日本国内の人物に助言を求めた。 彼は『今の金正日は影武者である可能性が高い。 中国政府も大きな関心を持っている』と話した。 金委員長は00-03年、南北首脳会談など活発に活動した。 しかし03年以降は‘金正日らしい’決定が見られない。 02-03年に北朝鮮では後継者擁立運動があった。 それだけ当時、金委員長の健康が悪化したという傍証だ」

重村教授は金委員長の影武者説と死亡説を提起し、Aの決定的証言に依存した。 Aの証言は100%信頼できるのか。 「偽りの証言もあるのでは」という質問に対し、「彼の証言が最も直接的だ。 私は新聞記者出身だ。 ない話を作ることはできない。 金委員長が死亡したと主張をする信頼できる人物がいて、多角的に情報を分析した結果、生存よりも可能性が大きかった。 それで『金正日の正体』という本を書いた」

インタビューの最後に重村教授に対して「金委員長の死亡説の信憑性はどの程度か」という質問を投じた。 重村教授の主張を完全に信頼することはできなかった。 重村教授は「80-90%」と明らかにした。 そしてやや驚くような話もした。

「‘影武者2号’は男性ではなく女性という説もある」。この部分の信憑性は何パーセントか尋ねた。 重村教授は「50%だと考えている」と答えた。

▽重村智計教授=1945年に中国遼寧省丹東で生まれ、71年に毎日新聞に入社した。 ソウル特派員(79-85年)、ワシントン特派員(89-94年)を経て、04年から母校の早稲田大国際教養学部教授として在職している。



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