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後輩は先輩のようになりたがっていた。 しかし道を踏み外した軍人だった。 卒業成績が悪く、羨望した騎兵隊ではなく退屈な兵站補職に就くことになった。 辺境で時間を過ごし、結局、勤務中の飲酒で軍服を脱いだ。 貧しい雑貨屋の息子だった彼の人生がまた上向いたのは南北戦争の時だ。 予備軍に召集された後輩は、テネシー戦闘で何とか勝利した。 ウェストポイントの親しい友人だったバックナー将軍と正面から対立した。そこで彼が得たニックネームは「無条件降伏」。 どんな交渉も拒否して強引に押し通し、1万2000人の南軍を捕虜にしたのだ。 この後輩が北軍総司令官のグラント将軍だ。
昨年リンカーンがゲティスバーグの戦いの直後に送った親筆の手紙が公開された。 「リー将軍を早く逮捕しろ。 南軍は必ずせん滅しなければならない」。4年間の内戦で積もった敵がい心が表れている。 しかし降参交渉場の雰囲気は違う状況だった。 グラントが出した交渉文にみんな驚いた。 「武器を捨てて故郷へ帰りなさい。 農夫は自分の馬に乗って行ってもよい」。戦犯・捕虜の話は全く出てこなかった。 敗残兵には非常食糧までも提供した。 銃殺を覚悟したリー将軍も驚いた。 南と北の怨恨は春の雪が解けるように消えた。
北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長が脳卒中で倒れると、「概念計画5029」が復活する兆しだ。 北朝鮮の崩壊に対応した非常計画は必要だ。 しかし敵がい心と怨恨が先んじれば困る。 統一後を考えれば、むしろ寛容と包容が切実ではないだろうか。 グラントの決断で南北戦争の傷は早く癒された。 米国は幸い精神的に分裂しなかった。 参考に、グラントが南軍首都のリッチモンドに入った時、住民たちは烈列に歓迎した。 故郷でちっ居していたリー将軍も一度だけワシントンをまた訪れた。 グラントの大統領就任を祝うための旅行だった。
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