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【噴水台】脳卒中

 第2次世界大戦以後の世界秩序を議論したヤルタ会談の3人の主役、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン最高人民委員はみんな脳卒中で生涯を終えた。

ルーズベルトは1945年のヤルタ会談の2カ月後に死亡した。 死亡の1年前からルーズベルトは頻繁に狭心症に苦しんでいた。高血圧で心臓の筋肉が弱まっていた。 病魔のためか、ルーズベルトはスターリンに大きく譲歩し、この会談は米国外交史で‘屈辱’として記録されている。

スターリンは会談の8年後に死亡した。 主治医が「医師の陰謀」に加担した容疑で逮捕された後、医師を信じなかったスターリンは、53年、クレムリンでパーティーが終わった後に倒れ、すぐに昏睡状態に陥った。3日後、まひしていない左手を高くあげ、力なく落としたのが最期だった。 もしかすると、この脳卒中は人類の平和に寄与したのかもしれない。 スターリンがきちんと薬で治療を受けていれば、62年のキューバミサイル危機が全面的な核戦争に飛び火していたかもしれないからだ。


酸素呼吸器をつけたままヤルタ会談に出席したチャーチルは、それから21年も生きた。 肥満に高血圧、常にパイプをくわえていたチャーチルは、明らかに脳卒中の高危険集団に属する。 しかし60年代に開発された高血圧薬と楽天的な性格のおかげで81歳まで現職政治家として活動し、91歳まで長寿した。 チャーチルも体の左側が完全にまひした3度目の脳卒中には屈服した。

最近、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の臥病説で有名になった脳卒中は、‘脳(脳)が突然(卒)あたる(中)’という意味だ。 脳血管が破れる脳出血と詰まる脳梗塞をともに含む。 単一疾患では国内で死亡率1位の病気だ。

英語では「ストローク」(stroke)となる。 テニス選手がボールをラケットで打つ(ストローク)ように‘ドン’と脳に打撃を与えるからだ。 米国の若者の間ではストロークは‘なでる’‘さわる’など愛情を連想させるが、中・老年層には非常に憂うつな単語だ。 ストロークが一度発生すると、完治は事実上不可能だからだ。

漢方では中風という。 ‘風にあたった’と解釈される。 ここで「風」は、突然吹きつけたり、すぐに弱まったりもする変化無双の風だ。 その世紀によってあたる人の運命が変わる。 今回北側から吹く‘風’は普通ではない。 その風が‘狂風’にならないように落着いて対処しよう。



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