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【噴水台】権力者の有故

 春秋時代の5人の覇者の一人、斉の桓公の死は、彼の生前の業績とは違って悲惨だった。 側近料理士出身で、自分の息子を殺してゆで、王の食卓に出した易牙という人物により、飢え死にさせられたようなものだったからだ。

易牙は他の奸臣とともに王の寝所の近くに壁をつくる。 王がそのように命令を下したと嘘をつきながらだ。 王宮内の人の出入りをすべて統制した奸臣らは、事実上、王の役割をしながら権力を壟断する。 桓公は死後67日間放置されたという。 桓公の5人の息子は、父の死も知らないまま権力を握るために争いを繰り広げ、国力を低下させた、というのが後の話だ。

中国を初めて統一した秦始皇は‘祖龍’と呼ばれる。 祖父という意味の‘祖’は最初を表す。 ‘龍’は皇帝の象徴だ。 初めて皇帝になった人、すなわち始皇を意味する言葉だ。 「祖龍がもうすぐ死ぬ」という文字が書かれた石が見つかったというのを聞き、秦始皇は深く悩む。


絶対権力者として迎える死は悔やまれるはずだった。 それで彼は長生不死の薬を手に入れるため5度目の巡行に出る。 そして帰り道に病気になって死んでしまう。 権臣だった李斯と奸臣だった趙高は彼の死を隠した。

一説では、漬けた魚を秦始皇の車に入れたという。 遺体の腐った臭いを隠すためだ。 毎日行われた臣下の報告も車に布を垂らしたまま行われた。 秦始皇が最初の息子・扶蘇に皇帝の地位を譲ろうとしていた意図は2人によって歪曲される。

当時、秦始皇に随行していた愚かな息子・胡亥は、奸臣の趙高と組んで皇帝の地位にのぼる。 強盛だった秦が長く続かず滅びたきっかけはここで生じた、というのが定説だ。

斉の桓公と秦始皇だけではない。 絶対権力者の有故(特別な事情や事故)は常にベールに包まれ、副作用を招くものだ。 権力者の身辺の異常が法と制度の枠で解決のきっかけを見いだせば、問題の素地はもっと減る。

過去の皇帝に劣らない権力者である北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の有故が関心だ。 隠遁の権力者である金委員長の有故は個人のことに限らない。 その深刻な不透明性がひょっとして韓半島の暴風に広がらないか心配される。



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