北朝鮮政権60年を貫くキーワードは「主体」と「自主」だ。北朝鮮は50年代中盤以後、中小紛争が深刻な局面に入ると自力で南朝鮮共産革命と経済建設を推進することにした。その一環として事大主義と教条主義を排撃した。これは金日成主席の「カリスマ」と結合し、北朝鮮住民の民族的自尊心を強化させた。その結果、労働生産性もかなり増えた。57年に始まった第1次5カ年計画内の工業生産量が目標の3.5倍に達した。70年には「社会主義工業国家」になったと宣言した。韓国との経済力比も74年までは優位だった。
しかし北朝鮮社会主義政権の成功はここまでだった。70年代後半以降、経済力を含む北朝鮮の国力は衰えていった。まず社会主義中央集権式計画経済による非効率性だ。非現実的計画作成、虚偽報告などが横行した。労働者の創意力や勤勉性は期待できなかった。まったく同じに分配されるのだから、誰が努力をし、誰がこれ以上考えようとするか。民間の創意と勤勉、そして朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領のリーダーシップで経済成長を成し遂げた韓国とは明らかに比較された。李承晩(イ・スンマン)元大統領ら指導層が自由民主主義を選択したのが何より幸運であり、先見の明だった。
しかし北朝鮮社会主義政権の成功はここまでだった。70年代後半以降、経済力を含む北朝鮮の国力は衰えていった。まず社会主義中央集権式計画経済による非効率性だ。非現実的計画作成、虚偽報告などが横行した。労働者の創意力や勤勉性は期待できなかった。まったく同じに分配されるのだから、誰が努力をし、誰がこれ以上考えようとするか。民間の創意と勤勉、そして朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領のリーダーシップで経済成長を成し遂げた韓国とは明らかに比較された。李承晩(イ・スンマン)元大統領ら指導層が自由民主主義を選択したのが何より幸運であり、先見の明だった。
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