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そのカダフィが態度を一変したのは2003年だった。 その年の12月、米国と大量破壊兵器の廃棄に電撃合意すると、翌年には正式に国交を結んだ。 力が増していたブッシュ行政府のネオコンは「イラク戦争を見守っていたカダフィが第2のフセインにならないか怖気づいて手をあげた」と自画自賛した。 実はそれ以前からカダフィは「革命後に維持してきた社会主義経済体制が効率的に作動していない」と自己批判した後、国際社会に扉を開こうとしていた。
リビアの変化に言及する度に比較対象に挙げられる国が北朝鮮だ。 リビアが核放棄を宣言した2003年は、第2次北核危機が本格化した時期だった。 北朝鮮は‘先に核放棄、後に関係改善’のリビアモデルを無条件降伏に例えながら拒否した。 先に‘武装解除’すれば、米国の考えが変わるのは明らかだ、という論理だった。 その代わりに持ち出したのが、朝米が同時に段階的措置を履行していくべきだという‘同時行動の原則’だ。
北朝鮮とリビアがお互い異なる道を選択してから5年が過ぎた。 先日、カダフィは55年ぶりに米国務長官と対座した。 22年前に米国が爆撃した、まさにその官邸だった。 同じ時間、北朝鮮はせっかく進めてきた核施設の無能力化措置を原点に戻すと言って緊張を高めた。 そうなれば時計の針は2002年の一触即発の危機局面に戻る。 北朝鮮は、米国に圧力を加えればテロ支援国解除措置が早期に実現すると信じているようだ。
先に核放棄の決断を下して査察を受けたリビアは、2006年にテロ支援国から抜けた。 「われわれはリビアと違う」と北朝鮮は主張するが、ライス国務長官とカダフィが向かい合って座った写真を見ると、もどかしさを抑えることができない。
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