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<グローバルアイ>良い映画、そして日本の現実

 先週末公開された映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」は、第2次世界大戦の終戦を記念する日本の8月を見せてくれる作品だ。 早慶戦は韓国の延世(ヨンセ)大と高麗(コリョ)大がライバルとして繰り広げる「延高戦」と似ている。 名門私学の早稲田大と慶応義塾のスポーツ定期戦をいう。 太平洋戦争当時、徴兵を控えた両大学の野球部員が行った最後の試合をもとに作られた。

1943年4月当時、文部省は野球が敵国の米国のスポーツという理由で東京の6大学野球連盟を強制解散させ、リーグ戦を禁止した。 軍部は戦力を補強するため大学生の徴兵猶予を廃止し、20歳以上の男子学生を徴集した。 戦争で長男を失った慶応大の小泉信三総長は、死地へ向かう学生たちのために早稲田大に最後の早慶戦を申し込んだ。 しかし軍部の人の目を気にするしかなかった早稲田大は容易に応じられず、紆余曲折の末、「出陣学徒壮行」という名前で10月16日、早稲田大戸塚球場で最後の早慶戦を開いた。 結果は10-1で早稲田大が勝った。 勝負は重要でなかった。 早稲田大の応援席で慶応の応援歌「若き血」の大合唱が起こり、慶応の応援席では早稲田大の校歌が響いた。 この試合を最後に戦地へ向かった多くの学生は特攻隊と銃弾の盾として戦死した。

この映画が特別である理由は、若者たちを一方的に戦争に追い立てた軍部の非情を赤裸々に見せているからだ。 勝戦のために個人の犠牲は‘名誉の死’と受け入れなければならなかった家族の痛み、戦争に反対した教授や学者が軍部によって罷免された状況も率直に描いた。


映画が与える真実の響きは小さくない。 しかし残念なのは映画は映画にすぎないという点だ。 日本の現実社会は、映画が描き出した戦争と人間に対する真摯な回顧に目を向けないからだ。 現実の中の日本人は加害者ではなく原子爆弾の被害者として自身を記憶している。 8月6日に広島、9日に長崎に原爆が落ちた日を「平和の日」に指定し、メディアはわれ先にとその被害を特集で扱う。 「核兵器を二度と使用してはならない」というメッセージだけを膨らませる。

周辺国の侵略や植民地化、戦争を起こした過ちに対する反省はほとんど見られない。 日本軍隊を美化する映画が制作されるかと思えば、戦争を批判したドキュメンタリー映画「靖国」は国会議員の事前検閲と右翼団体会員の抗議で上映が延期された。

日本の幼い学生たちは戦争挑発や民族性を抹殺した植民統治の歴史を正しく学ぶ機会がない。 従軍慰安婦など事実を歪曲した歴史教科書が日本政府検定を通過し、文部科学省は戦犯の位牌がある靖国神社への団体訪問を奨励するような通知文を各地方教育委員会に伝えたという。

もっと本質的な問題は、終戦63年という歳月とともに、日本が戦争責任国という事実が、自らの過去史否定によって忘れられるという点だ。 また惨状を記憶して後代に証言できる日本人はますます減り、状況はさらに悪化する可能性もある。

映画「ラストゲーム」の神山征二郎監督は自らを「1941年に生まれた最後の戦争世代」と呼ぶ。 神山監督は日本メディアとのインタビューで「戦争の芽はいつ、どこにでも育っている。 しかし10年後、日本には戦争を証言できる人が急激に減るはずだ。 (この作品を通じて)後代に戦争の歴史を残してみたかった」と話した。

歴史を眺める正しい視線は消えていき、知覚のない一部の指導者が出す無理な主張や歴史歪曲が勢力を振るう日本。 その隣国の事態を憂慮の視線で眺めるしかないのが韓国の立場だ。



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