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誰かが国家の終末を語っても、オリンピックは変わらぬ国家主義の威力を見せる。全世界の全国家が競って順位を出す。授賞式のハイライトは金メダル受賞者の国歌が響き、国旗が掲揚される瞬間だ。「体力は国力」という過去の軍事政権のスローガンもここから出た。
オリンピックは国家統合のイベントでもある。開催国の経済的跳躍はもちろんで、内的統合や政治的目的によって活用された。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権は88ソウル五輪誘致と86アジア大会を政権最大の政治の功績として掲げた。その後も大極戦士たちの善戦は一瞬すべての社会的葛藤を揮発させ、国家統合を成す威力を発揮した。
今回の北京五輪も例外ではない。開催国中国は強く最強大国を夢見る“中華主義”の野望を露骨的に表した。チャン・イーモウの開幕式からしてそうだった。彼の開幕式は13億の人口、5000年の歴史と文明、資本と国家動員力に至るまで中国がもつすべての資産を奏でた政治的イベントだった。数千人が1年近く練習したという開幕式のマスゲームは、中国でなくては不可能な国家的動員の実体を見せた。
西欧メディアは開幕前からいい視線を送っていなかった。チベット事態、メディアや人権弾圧などをあいまいにしようとする政治性を問題視したのだ。ナチズムの宣伝場となった1936年ベルリン五輪と近いとも言われた。政府批判的な第5世代監督から今後は中華主義の伝道師となったチャン・イーモウからは、ゲルマン優越主義に即したベルリン五輪記録映画『オリンピア』を作ったレニ・リーフェンシュタールを思い浮かばせた。もちろんこうした一発食わされた背景には、世界の舞台に跳躍する中国に対する牽制心理も隠れているのだ。
実は最近はオリンピックの政治学より経済学の方が大きなイッシューだ。オリンピックを主観する国際オリンピック委員会(IOC)がオリンピックというヒット商品を全世界に独占販売しながら稼ぐ天文学的収入が話題だ。IOCは2006年トリノ冬季五輪と2008年北京五輪を通じて40億ドルの総収入、4億ドルの純収入をおさめるものと見込まれている。五輪開催国や都市は莫大な借金に陥ってもIOCはテレビ中継権料の販売、公式スポンサー選定などで年間1兆ウォンずつ稼ぐ。開催都市がお金を儲けた事例としては84年のロサンゼルス五輪などが挙げられる。
ともすれば「地球村の祭典」のオリンピックはIOCという巨大企業が国家主義を素材として行う全地球的マーケティング、あるいはメディアイベントだ。
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