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日本の北島康介選手(26)が11日、世界新記録を塗り替え、男子平泳ぎ100メートルで優勝した。
朴泰桓(パク・テファン、19)選手に続き、北島が金メダルを取ったニュースは日本列島を熱く興奮させた。共同通信は「北島、100メートル世界新記録で優勝」と題した緊急記事を伝え、読売、日刊スポーツも優勝の知らせを大々的に報じた。
北島はスランプとけがを克服し、金メダル獲得を達成したため、日本ファンの心を打った。
北島は男子平泳ぎ100メートル決勝で58.91をマーク、2006年に米国のブレンダン・ハンセン選手が出した世界記録(59秒13)を0.22秒縮め、金メダルを獲得した。
5歳から水泳を始めた北島は日本水泳界のヒーローである林亨選手と出会い、一緒に泳ぐ機会を得て、選手になることを決意した。1メートル78センチ、73キロの体格は水泳選手としては小柄だが、天性的な水泳の才能を持っていた。
北島は2002年に開催された釜山(プサン)アジア競技大会の平泳ぎ200メートルで世界記録を出して優勝し、最優秀選手(MVP)に選ばれた。2004年のアテネ五輪では平泳ぎ100メートルと200メートルで世界最強のハンセンを制し、スーパースターとして浮上した。当時、北島は「ハンセンを下した」と、意気揚揚としていた。
しかし北島は翌年、スランプに陥った。日本のマスコミは北島を休む間もなく、カメラの前に立たせ、北島もこれを楽しんだ。このため練習が不足した。北島は2005年の世界選手権大会の平泳ぎ100メートル、200メートルでハンセンに敗れ、2006年の日本選手権大会では平泳ぎ200メートルで4位、50メートルで2位に終わった。
2年近く続いたスランプは苛酷だった。しかし北島の天才的な才能は色あせなかった。
北島は2006年12月に開催されたドーハアジア競技大会を前に、対外活動を一切中止し、練習に打ち込んだ。
努力はまもなく実を結んだ。ドーハアジア競技大会で2冠王を達成した後、2007年3月の世界選手権大会ではハンセンを押さえ、200メートルのタイトルを奪回した。同年8月にそけい部の筋肉が破裂する重傷を負ったが、不屈の意志で再起した。
北島は平泳ぎ200メートルでも、金メダルの有力候補に挙がっている。強力なライバルのハンセンが米国代表選抜戦で脱落しており、ライバルがいなくなった。
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