19世紀末の上海に不慣れな馬車が現れた。馬を操る御者の席はたいてい馬のすぐ後ろ。ところがこの馬車の格好は違った。主人が座る箱型座席の後ろに御者の席があるのだ。だからいちばん後ろにくっついている格好だ。その上に箱型座席の内部の飾りが非常に豪奢だった。皮革カバーに床面にはじゅうたんが敷かれた豪華版。この高級な馬車は上海の人々の耳目を引いた。形が珍しい上、普通の馬車よりもっと高かったからだ。
この馬車は輸入品だった。作った人はイギリス人ジョセフ・ハンサムだ。このハンサムという人の名を中国人たちは「亨生」と音訳した。当時、上海でこの馬車を買って走らせるに値する中国人の財力家は珍しかった。それこそかなりの金持ちが意欲を出すことができないほど高価だったわけだ。この馬車を引いていた人々には馬車製造者の名前を音訳した発音の前に“大きい”という意味を付けて「大亨」といった名前がつけられた。後に上海を含めた中国の大都市で、暗黒街を活躍する組職暴力団の親分、巨大な富を蓄積し、地域全体で強い力を世に示す人を意味する言葉として落ち着いた単語だ。
この馬車は輸入品だった。作った人はイギリス人ジョセフ・ハンサムだ。このハンサムという人の名を中国人たちは「亨生」と音訳した。当時、上海でこの馬車を買って走らせるに値する中国人の財力家は珍しかった。それこそかなりの金持ちが意欲を出すことができないほど高価だったわけだ。この馬車を引いていた人々には馬車製造者の名前を音訳した発音の前に“大きい”という意味を付けて「大亨」といった名前がつけられた。後に上海を含めた中国の大都市で、暗黒街を活躍する組職暴力団の親分、巨大な富を蓄積し、地域全体で強い力を世に示す人を意味する言葉として落ち着いた単語だ。
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