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原子爆弾開発に参加した元科学者、初めて広島訪れる

 米国が第2次世界大戦中に広島と長崎に投下した原子爆弾の開発に参加した女性科学者ジョアン・ヒントン(Joanne Hinton、86)さんが日本を訪れた。ヒントンさんは自分の作った原子爆弾が多くの人命を奪ったことを知り、科学者の道を歩むことをやめた。その後、中国に渡り、現在は北京郊外で酪農業を営んでいる。ヒントンさんは6日、原爆投下63年目にして初めて広島を訪れた。

広島の原爆ドームの前に立ったヒントンさんは「当時、自分は実験成功にただただ興奮していた何も知らない科学者だった」とし、言葉を失った。朝日新聞など日本のマスメディアによると、ヒントンさんは米国の原子爆弾の開発計画である「マンハッタンプロジェクト」に参加した。

終戦後、同僚とともにワシントン連邦政府を訪れ、原爆投下に抗議したヒントンさんは、その3年後に物理学者をやめ、上海に渡った。ヒントンさんは中国で出会った米国人男性と結婚し、酪農業に専念してきた。


ヒントンさんの存在が世に知られたのは、1951年に全米科学者連盟に送った1通の手紙が公開されたためだ。「広島の記憶-15万の命。一人一人の生活、思い出、夢と希望、失敗を瞬く間に奪い去ってしまった。自分はこの手であの爆弾を触っていた」--。

酪農業とともに反核平和活動も行っているヒントンさんは、日本滞在中に被爆者らと会う予定にしている。



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