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民心離反はさらに進んだ。 動員令が下されても市民は戦闘に出てこなかった。 渓谷に集まり、夜通し篭城した。 ウァレリウスは丘の上の邸宅からこの光景を見下ろした。青瓦台(チョンワデ、大統領府)後方の山でろうそくの火を見守りながら「朝の露」を聞いた韓国の大統領を思い出す。 しかし2人の共通点はここで終わりだ。 次の場面から完全に違う。
自身の悪い評判を友人から伝え聞いたウァレリウスは弁解しなかった。 すぐに邸宅を取り壊し、痕跡さえも残さなかった。 ウァレリウスは低い湿地のみすぼらしい家に移った。 常に大門は開けておいた。 疎通の政治が始まったのだ。 コンテナ障壁の‘明博山城’の後ろに隠れた李大統領と違う状況だ。 ウァレリウスは内閣も一新した。 「平民は執政官になれる」という法を作って平民を大挙抜てきした。 牛肉事態で痛い目にあっても‘小幅改閣’で繕った韓国とは相対的だ。 それでも足りなかったのか。 ウァレリウスは個人財産までも道路や下水道事業にはたいた。 突然、李大統領が献納することにした財産はどうなったのか気になってくる。
すぐにローマ市民の気持ちは変わった。 ウァレリウスは平民中心の重武装歩兵を率いて数多くの戦争で勝利した。 その後ウァレリアスは5度も執政官に選ばれるという記録をつくった。 息を引き取る時、ウァレリウスには葬儀費用も残っていなかった。 ローマ市民が弔意金を集めて盛大な葬儀を行い、ウァレリウスの遺体を昔の家の跡地であるベリアン丘に埋葬した。 1年間喪服を着て哀悼した。 共和国を基礎を築いたウァレリウスに「プブリコラ」(市民の友)という名誉ある尊称がついた。 その後、ウァレリウス家門は15世紀半ばの東ローマ帝国の滅亡までほぼ2000年間、最高名門家として尊敬された。
李明博政権もハッピーエンドで終わらなければならないが…。 しかし度々道を踏み外している感じだ。 怒りの民心を収拾するには自己犠牲と感動が必要だ。 しかし韓国版ウァレリウスが登場する兆しは見えない。 韓国が2500年前のローマに比べてましな点はあるだろうか。 みずぼらしくつまらないという思いで、『プルターク英雄伝』のウァレリウス編をもう一度読んでみる。
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