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漢字が作られる6つの方法(六書)のうち、事物の状態や数量を表す指事の例だ。 2字を合わせると根と枝を意味する「本末」という単語になる。
本末というからには2つの意味が入る。「事態の本末」という時はある一つの事情に含まれる全過程をいう。 しかしこの言葉の含意は言葉通りの根と枝にある。
根は本質であり、そこに幹という単語まで合わせて事物の本体を形成する。 いわば根幹だ。 揺れてはならない原則であり要諦である。 「根深い木は風に揺れず、花も良く、実もよく結ぶので…」といった世宗(セジョン)大王時代の「竜飛御天歌」を思い出せばよい。
これに対して枝は事物の末端だ。 末端、身体で最も端に存在する神経を表現する時につく末梢という言葉が、この字を中心に形成された単語だ。 事物の端に表れる状態を主に意味し、本源的なものよりも枝葉的なものや臨時的なものを表す。
大きなものと小さなもの、核心と枝葉末端。 本末という言葉は、このように対称をなして使われる場合が多い。 東洋政治史ではこれを区分するのが非常に重要だった。そうでない状況を「根幹を捨てて末端を追う(舎本逐末:『呂氏春秋』)」「事物には本末、始まりと終わりがあるので、その前と後をよく区別しなければならない(物有本末、事有終始、知所先後:『大学』)」と表現して警戒する程だった。
ちょうど私たちがいつも使っているコンピューターを称する漢字語が端末機だ。 端末という2字はともに「端」を表す。 サーバーに蓄積されたデータを出力し、また自分の情報を入力しながら、実生活に合わせて使用する末の段階の設置物だ。
最近この端末機を通じて広まるインターネットの世界が心配される。 情報の偽加工と感性的拡散のためだ。 韓国インターネットはいまや相当部分の公権力を攻撃し、自分の考えと異なる人を攻撃する場所に変わった感じだ。
インターネットに関する限り、端末機はこれから末端機と表現するのはどうだろうか。末端は理性よりは感性が流れるところ。 制御された感性よりは無節制な感性があふれる領域だ。 事態の本末を確認して静かな議論が広まるよりも、感性的な対応が先だ。 韓国インターネットが狂暴な感性の社会に私たちを導かないか心配だ。
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