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‘最年少教授’ベク・ジュヨンさんの場合、すべてのことが早かった。 高校を卒業する前にカーティス音楽院に進学した。 その後、ジュリアード音楽院で大学院課程を終えたのが23歳だ。
「多くの学生は‘先生は何の心配もなく勉強してきた’と言います。 その度に自分の‘彷徨期’についての話をしています」。
カーティス音楽院があるフィラデルフィアからジュリアードの都市ニューヨークに移った後、ベクさんはバイオリンを置いて1年間を過ごした。
「なぜやらなければいけないのかと疑問を感じました。 バイオリンだけでなく、いろんな道があるということを知ったのです」。
部屋にこもりながら医大やロースクール入学要綱を調べたりして時間を過ごした。
その当時、心を空っぽにして参加したインディアナポリス国際コンクールで3位になり、特別賞を4つも受けたことで、音楽との愛がまた始まったという。
それ以降、ベクさんは自らを‘追い込みながら’生きている。 「学生指導と演奏を並行するのは大変です。 実際、教授として最小限の演奏だけをしても文句を言う人はいません」。
ところがベクさんは一週間に一回ずつ舞台に立っている。 錦湖(クムホ)アシアナチェンバーミュージックソサイエティーなどの室内楽団で演奏し、大関嶺(デグァンリョン)国際音楽祭にも毎年参加している。
「今この瞬間にも作曲家らが新しい曲を作っています。 生涯に楽譜を一度も見られない作品も多いのに、演奏を休むことはできません」。
18歳で米国に渡ったベクさんは、ある出版社のバイオリン作品目録に目を通しながら決心したという。 「全部演奏したい」という欲望から1週間に2、3曲ずつマスターした。 「国内交響楽団と協演する時、現代音楽も多くできればよい」という希望はその欲望の延長線上にある。 ブラームス・チャイコフスキー・シベリウスの「トライアングル」レパートリーから抜け出し、新しい曲を演奏したいということだ。
「若い演奏者があまりにも早く国内に安住しているのでは」という批判に対し、ベクさんは「新しいモデルを作っていく」と力強く語った。
「NHK交響楽団から招待、日本で演奏します」(1)
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