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何かが起こりそうな気配について言う時、人々がよく口にする名句だ。 唐の時代、監察御史という官だった許渾という人が、秦始皇当時の首都だった今の咸陽の城東楼に上がって作った詩だ。 前の一節は「水辺に雲が出ると、太陽は楼閣の下に沈む」(渓雲初起日沈閣)というもので、後ろの一節の雰囲気を先につかんで導く。
風は雨の前兆だ。 日が沈もうとする時、楼閣に吹きつける風が雨を予告している。 雨がまだ降っていない未然の状況、しかし楼閣を満たす風は、何かが迫ってくる危険を象徴している。
中国人には危機を考える‘思危’の態度がよく見られる。 風が吹く楼閣に上がって座り、情感よりも、遠くの山から近づいてくる雨を予感する詩人が出てくるほどだ。 長い歴史の中で繰り広げられた数多くの戦乱と災難の中で生き残るために得た生活の知恵なのだろう。
これに関連しては私たちにもよく知られている名句がある。 「安きに居りて危うきを思う、思えば則ち備え有り、備え有れば患いなし」(居安思危、思則有備、有備無患)という言葉だ。 『左伝』に登場するもので、私たちには‘有備無患’だけがよく知られているが、‘安きに居りて危うきを思う’という言葉は、そばに置いて常に吟味するに値する一節だ。
文人の間で危険な状況を表現する言葉(危語)の作り合いも登場した。 東晋(317-420年)当時、有名画家の顧愷之に関する逸話だ。 数人の友人と危険な状況を表現する言葉を作り合った。 「槍先でコメを精米し、刃先に釜を掛けて飯を炊く」「100歳の老人が枯れ木の枝に登る」「生れて間もない赤ちゃんが井戸の上の滑車に上っている状況’などが出てくる。 白眉は後に出てくる。 「盲人が前が見えない馬に乗って夜に深い池に近づく(盲人騎瞎馬、夜半臨深池)という言葉だ。
私たちには危機を予感し、これに対応する姿勢が足りないのかもしれない。 牛肉が招いた韓国社会の意思疎通の問題点、そこから始まった政局不安、継続するストライキが国内の問題だ。 原油価格と穀物価格の急激な上昇に国の経済が脅かされるのは外部の心配だ。 危機が重なって大きく増幅しないか心配だ。
意思疎通に問題が多い韓国社会は目が見えなくなった状況、それを率いる一部の放送はいわば前が見えない馬だ。 さらに、いつの間にか雨までが降っているのだから…。 しとしとと雨が続く梅雨の季節、思い浮かんだ私たちの社会に関する断想だ。
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