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ろうそくは2000年代韓国政治の主なアイコンだ。政治的ヤマ場を迎えるたびに決まってろうそくが登場した。最初のろうそくデモは2002年11月、ソウル光化門で行われた。その年6月、米軍装甲車にひかれて死亡した女子中学生シン・ヒョスン、、シム・ミソンさんの追悼行事だった。2人の女子中学生死亡事件は発生当時、韓日ワールドカップと16代大統領選挙の熱気に隠れて注目されることができなかった。あるインターネット新聞の市民記者が彼女たちを追慕するためのインターネットろうそくデモを提案したのが始まりだった。この動きがネチズンを中心に拡散、11月に大規模オフラインろうそくデモが初めて行われた。
以後ろうそくデモは国内デモ文化の代表的様式に定着した。以前のデモとは性格が違った。ろうそくをつけて行うデモなだけに、暴力性は減るほかなかった。暴力デモに変質するケースが全くなくはなかったが、1980年代式市街戦の概念は消えた。火炎瓶や石、鼻をつく催涙弾ガスの代わりにろうそくや歌、公演、自由討論が登場した。
ろうそくをつける階層も多様になった。政治デモの伝統的主体だった大学生と労働者以外に主婦、子供、少年などが隊列に加わった。家族単位の参加も多くなった。
はじめからインターネットで発議されたように、以後もインターネットが基盤になった。たとえば警察はデモの背後を明らかにしようとするが、常時的組職を構えずに、ネットワークで繋がれた中、あるとき一度に集まるウェブ2.0デモ隊の背後を明かすのは最初から不可能なことだ。ろうそくデモ隊は一方の手にはろうそくを、もう片方の手にはデジタル機器を持ち、進化するデモ文化、政治参加のやり方を見せている。
40日以上続いた2008年6月のろうそくデモ隊はここに「直接民主主義の実験」という新しい話題を投げかけている。今回のキャンドルデモの拠点となったポータルサイトの公論スペースの名前が「アゴラ」だというのも意味深長だ。古代ギリシアで可能だった直接民主主義をインターネットとろうそくで実現させようという「デジタル民主主義」の野心も感じられる。インターネット上にはもう「アゴラ党」「ろうそく党」という言葉も登場し始めている。
歴史学者キム・ジョンイン氏はこれに対して「代議民主主義の限界を感じたネチズンが直接民主主義を抱えて出る可能性が高い」とし「大統領が政治無力化の状況に追われればネチズンの政治勢力化の可能性もある」と診断した。一方、小説家李文烈氏は「偉大だが、ぞっとするようなデジタル大衆迎合主義」と懸念を示した。
怒った民心は昔のままで、第一ボタンを掛け間違えた政府は民心と国際関係の中で戦々恐々としている。政府は信頼を失い、国会は空転中なので、直接民主主義と代議民主主義の衝突を阻む道もなさそうだ。
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