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「強盛大国の基本となる農業生産を展開しよう」
「人民消費品の生産で、新たな飛躍の暴風を」--。
平壌市のあちこちで目撃される、赤地に白い文字で記されたスローガンだ。北朝鮮当局は年明け、労働(ロドン)新聞、民主朝鮮、青年前衛の3紙の共同社説で「人民生活第一主義を高く掲げて進むべき」とし「2012年に強盛大国の扉を大きく開けることになる」と宣言した。
これを機に平壌ではどこに行っても「人民生活」と「強盛大国」が話題になっている。90年代半ばに数十人の餓死者を出して崩壊しつつあった北朝鮮の経済が、緩やかな回復の兆しを見せている。ある北朝鮮当局者は「当時すべての工場が閉鎖し、経験していない人は想像しがたいほど厳しい状況になっていたが、現在は希望が見える」と話した。
これに関し、日本のある北朝鮮専門家は、最近、非公開のセミナーで「今年4月に発表された北朝鮮内閣の予算は、北朝鮮経済が数字的に最高潮だった89年の101%にのぼっており、北朝鮮が経済回復に向けた一次的目標を達成したものとみられる」という見方を示したという。
また北朝鮮当局者は「“2012年に強盛大国の扉を開ける”というのは、そのときまで年間550万-600万トンの食糧生産を達成するのをはじめ、住民の基本的な衣食住を解決することを意味する」と説明した。
北朝鮮の経済がこのように本格的な回復の局面に入ることができたのは、北朝鮮当局のそれなりの努力が成果をあげているためと分析されている。高麗(コリョ)大学の金錬鉄(キム・ヨンチョル)研究教授は「北朝鮮はこの約10年間、足りない人材と資源を電力・食糧の増産、モデル工場の現代化に集中する政策を取ってきた」と話した。
元山(ウォンサン)青年発電所、三水(サムス)発電所などを建設し、火力発電所を補修する一方、中小型の水力発電所も相当数建設することによって、電力不足が大幅に改善されたということだ。
取材団を案内した北朝鮮・民族和解協力汎国民協議会の関係者は「近ごろ、平壌で停電は起こらない」とも話した。また大規模な土地整理事業とおよそ200キロメートルにのぼる水路の建設などを通じ、食糧増産の基盤が作られたと金教授は指摘した。
そのほかに取材団が訪問した各工場は、いずれもここ数年間外国から設備を仕入れ、比較的活発に稼動中だった。しかし北朝鮮の経済全般にこうした成果が出始めていると評価するのは時期尚早だ。
ある政府当局者は「80年代にも北朝鮮工場の平均稼働率は30~40%前後であり、約1万カ所にのぼる北朝鮮工場の大半は60~70年代に導入した古い設備を持っている」と話した。依然として北朝鮮工場の大半は、稼働率が80年代と変わらないということだ。
食糧問題も2012年まで解決する見通しが立っているかもしれないが、当面はかなり厳しい状況とみられる。取材団が訪ねた食党の従業員は「5月までは配給が正常に行われた」とし「しかし昨年の水害で食糧生産が減り、6月や7月は支給されないだろう」と述べた。平壌の食糧配給は成人を基準に1人=1日700グラムのレベル。5月の場合、平均450グラムが配給され、地方は約400グラムだったとされる。
韓国農村経済研究院の権泰進(クォン・テジン)研究委員は「土地整理と水路建設などで農業生産の増大に向けた基盤施設はある程度備えたものの、依然として肥料、農機具、燃料、種子などの不足で、短期間に食糧を自給するのは難しいだろう」と話している。
→<平壌は今>道路、住宅…平壌は巨大な工事現場(3)へ続く
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