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墓地の追慕の雰囲気に交じって粛然とした場面が演出された。この日国立顕忠院を彩った蝶660頭は全羅南道咸平(チョンラナムド・ハムピョン)産。「蝶の伝導師」こと李錫炯(イ・ソクヒョン)郡守のアイデアで昨年に続き2度目のイベント「顕忠院で蝶を飛ばす行事」が行われたのだ。
李郡守にとってこの日は特別だった。午前にソウル江南区三成洞(カンナムグ・サムソンドン)のCOEXで開かれた「世界環境デー」の記念式で大統領機関表彰を受けた。40歳という若い年齢に咸平郡守になり、蝶とともにしてきた10年。環境の先進化と地域経済の発展という二つの目標を達成した功労を認められたのだ。
同イベントが終わった後、李郡守に会った。郡守に3回連続当選し、10年間蝶に全力を尽くしたすえ、平凡な農村地域で全南でも注目されずにいた咸平郡を大韓民国の生態・環境の代名詞に変えておいた。李郡守は咸平農高と全南大を出て、公営放送・KBSテレビ(韓国放送公社)の光州(クァンジュ)支局でプロデューサーを務めた。58年生まれの犬年だ。98年3月、李郡守は12年間にわたるテレビ局のプロデューサーとしての生活を終えた。
--不惑の40歳にテレビ局の仕事を辞めた理由は。
「高校時代と大学生の時代に学生会長をしながら、いつかは必ず中央政治の舞台に進みたいと心を決めていた。プロデューサー時代も胸の中に夢を抱いていた。40歳という年齢に、人生のターニングポイント(転換点)が必要だと思った。総選挙に出馬するかどうかを悩んでいるとき、“いきなり中央舞台で政治をしようとせずに、自治体で経験を積んだ方が良い”とアドバイスされ、郡守選挙に出馬した」。
--初めての選挙で当選し、運が良いと思うが。
「現職の郡守に勝って当選はしたものの、喜びはしばらくの間だけだった。郡の財政状態を調べてみると、破産宣告を受けたのも同然だった。郡の税収が年間44億ウォン(約4億4000万円)で、財政の自立度は12%だった。農業に携わる人口が7割にものぼる上、65歳以上の高齢人口が2割を上回り、活力も期待できなかった」。
--そんなにひどい状態だったのか。
「10年前の咸平郡は“3無の町”だった。天然資源がなく、産業資源がなく、観光資源がなかった。各地域に少なくとも一つはあるはずの国家指定宝物も、大きな寺もない所が咸平だった」。
--それでどう取り組んだのか。
「眠れなかった。早朝から郡庁の裏にある山にのぼってタバコをくわえる日が多かった。そのようにして数か月が過ぎた。一つのアイデアが突然頭に浮かんだ。咸平邑内を横切る咸平川に沿って歩いていたとき、この川辺に大量な花を植えて環境にやさしい川辺にし、そこに蝶を飛ばして生態体験祭りを開催するのはどうだろうかというアイデアが突然浮かんだ。子供たちが喜び、家族連れの観光を誘致できるだろうと確信した。何かのイベントを作り、視聴者に感動を与えなければならなかったプロデューサー的発想の習慣のおかげだったかもしれない」。
--蝶を飛ばすということは?
「郡庁幹部会議でこの話を持ち出した。皆“狂ったんじゃないのか”“若手に群守を務めさせたらこの有様”といった具合の批判が絶えなかった。どうせやるんだったら、菜の花か儲かることのできる韓国産牛の祭りをすべきなのに、蝶などとんでもないということだった。群議員らには“一回だけ助けてほしい”と切実に訴えた」。
--反対派の論理は?
「当時中央政府から予算を受けて菜の花を植えるのが各自治体で流行っていた。だが菜の花だけ植えていては、後発走者の咸平が済州道(チェジュド)に勝つことはできない。韓国産牛祭りもすでにほかの地域で行われていて、真似ることほかならないと思ったので、必死になって蝶を押し進めた。無理でも押し通すしかなかった」。
「オンリーワン」目指し韓国生態観光の一番地に(2)へ続く
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