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言論学者のロジェンは公共ジャーナリズムについて「メディア関係者が市民をニュースのネタや野次馬と見なすのではなく、公衆として、そして時事的な問題に対する潜在的な参加者と見なしながら、問題を知ることにとどまらず、解決するための政治的行動を模索するのに寄与する」と書いた。たとえば選挙期間中、公共ジャーナリズムを選んだ報道機関の記者らは、有権者の中に入り込んで市民の意見を聞き、政界が投げかける問題ではなく、市民が提起する議題を中心に取材した。米国では2000年までの10余年間、213都市・275報道機関で550余りの公共ジャーナリズムプロジェクトが遂行された。
こうした初期の公共ジャーナリズムが‘市民を訪ねるメディア’だったとすれば、インターネットに象徴される技術発達は市民がジャーナリズムの主体になる時代を可能にさせた。名付けて‘1人メディア’‘市民ジャーナリズム’、または街中の記者を意味する‘ストリートジャーナリズム’の誕生だ。
1999年にシアトルで開かれた世界貿易機関(WTO)反対集会で、デモ参加者は、携帯電話と米国・欧州の60余のインターネット新聞が連帯した‘インディメディア’(Indymedia)を通じて自らの要求を世界に知らせ、注目された。2005年のロンドン地下鉄テロ当時、市民が携帯電話のカメラで撮った現場写真が世界メディアに乗ったのも、ストリートジャーナリズムの代表事例に挙げられる。メディアの接近が制限されたチベットやミャンマーのデモ現場を伝える市民の動画やUCC(User Created Content)も同じだ。IT強国の韓国はかなり以前から市民ジャーナリズムのサンプルとして注目されている。
最近のBSE(牛海綿状脳症)政局もやはりストリートジャーナリズムの競演場というに値する。無線インターネットとノートブックを利用し、現場を生中継するストリート記者が多い。ウェブ2.0時代、ニュースを受けてきた市民が自ら報道と流通を主導する‘生費者’(生産的消費者)に変化しているのだ。
もちろんストリートジャーナリズムには客観性の不足、アマチュアリズム、過剰な一般化や感性主義などの限界がないわけではない。しかし今日、私たちの社会がもう一度、メディア教科書の一ページを書き換えるのは明らかなようだ。同時に‘ろうそく集会’政局のストリートジャーナリズムは、権力はメディアから生まれるという、‘メディアが権力’という命題も改めて確認させてくれる。このように変化するメディア環境の中で、いま本当に必要なのは、メディア間の真剣勝負なのかもしれない。
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