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70年代日本人キーセン観光ブーム…韓国政府は「愛国行為」奨励も(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
このような形の売春は一つの産業として位置を確立した。全北(チョンブク)大学新聞放送学科のカン・ジュンマン教授は著書『売春、韓国を剥がす:国家と権力はいかにして性を取り引きしてきたか』でこのような内容を明らかにした。「1970年代、日本人を主な客とする観光キーセン業という名称が普遍化した。日本人観光客数は71年9万6000人余りから79年65万人余りに増え、このうち85%以上が男性だった」

また、カン教授はこの本に「朴正熙(パク・チョンヒ)政権は73年から売春婦に許可証を与えてホテルの出入りを自由にし、通行禁止と関係なく営業することができるようにした。また、朴政権は旅行会社を通じて『キーセン観光』を海外に宣伝しただけでなく、文教部長官は73年6月に売春を女性たちの愛国的行為と奨励する発言をした」と書いた。

カン教授はこの本で、78年韓国が売春で日本人に対してあげた収入が700億ウォン(現在のレートで68億円)程度だとした。カン教授は『同盟の中のセックス』(キャサリン・ムン)、『韓国の女性運動:昨日と今日』(イ・ヒョジェ)、『韓国の売春』(パク・ジョンソン)などを参考にした。


絶対的な力を持った政権の管理の下で女性の性は商品として取り引きされた。輸出が最高の愛国だった時期、彼女たちは日陰で外貨を稼いだ。集娼村は法の死角地帯で公認を受けたためか、人身売買犯が大手を振って歩いていた。

年若い少女たちは訳も分からずドロ沼に引きずり込まれ、一生抜け出すことができないのが普通だった。彼女たちの一部は現在も営業主として、玄関おばさんとして、売春女性として生きていく。どん底に縛られていた30年の歳月が彼女たちから外の世界と接する勇気を奪い取っていった。

日本人を相手にした「キーセン観光」が盛んに行われていた中、玩月洞の売春女性と釜山太宗台(テジョンデ)の新仙岩に行った日本人観光客が女性の写真を撮ろうとして崖から落ちて亡くなる事故も起きた(1976年)。95年釜山地検強力部が日本ヤクザ100人に売春をすると契約した料亭の事業主を拘束したこともある。この事業主は4カ月間で日本人観光客1人あたり3万円を受け取って堕落行為を斡旋(あっせん)して1500万円(当時約1億2000万ウォン)を稼いだ。

町の男たちはBさんをはじめ玩月洞の女性たちが通ると「チョッパリ(日本人の蔑称)」と遊んでいるとからかった。「正直いえば自尊心が傷つけられました」。自尊心のためだったのだろうか、独立運動記念日の3月1日には営業を休んだ。

この日、日本人観光客が来ると「今日が何の日か知らないのか。どこを上がってくるか」とののしりながら追い返した。虚しい事実は、数日過ぎたら「イラッシャイマセ」と叫んで、また忙しく日本人を迎えたということだ。

ソウル明洞(ミョンドン)の近くでも日本人相手の売春業者が繁盛した。俗称「ダチ」と呼ばれるここの女性たちは斡旋元から連絡を受けてホテルのような宿泊業者で売春をした。この「ダチ」は2012年までもメディアに登場していた。ソウル中区(チュング)の有名ホテルである○○○ホテル・○○ホテルの支配人が「キーセンパーティー」をするとし、「ダチ」女性を有名高級料亭に連れていったりした。

89年にはソウル市警がキーセンパーティー営業が疑われる有名料亭を対象に一斉捜査(売春行為防止法違反)を行った。ソウルで旅行会社の会長、料亭のマダム(女主人)、組織暴力団などが「円稼ぎ」売春を斡旋して拘束されることがたびたびあった。済州道(チェジュド)も70~80年代、日本人を相手にしたキーセン観光が活発だった。

「日本人たちが韓国に『現地妻』を多く置いていました。私もマダムに60代の日本人ゴルフ場社長を紹介されましたが、正直いうと身震いしました。しわだらけの老人が私の目の前で『かわいいね、かわいいね』と言っているのに、国力が弱いので年若い韓国の娘たちがこういう目に遭うのかなと思いました。その佗びしさは体験したことがない人には想像できないでしょう。(地位の)高い方々は知らなかったと思います」。



70年代日本人キーセン観光ブーム…韓国政府は「愛国行為」奨励も(1)


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