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「肉弾血戦で独立」 100年前の2・1大韓独立宣言 武装独立闘争の口火に(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
◆独立活動家39人の共同名義

この大韓独立宣言書は満州と中国本土、ロシア、沿海州、米国の独立活動家39人の名義で発表された。全員がそうそうたる独立闘士だ。一人を除いて生涯、独立のために力を注いだ。大韓民国の初代大統領を務めた李承晩(イ・スンマン)博士(1875-1965年)、ソウル苧洞(チョドン)(現在仁済大ソウル白病院付近)一帯の土地など全財産を売って一家40人と共に満州に亡命して独立運動に献身した大韓民国初代副大統領の李始栄(イ・シヨン)先生(1869-1953年)の名前が目を引く。

1920年の青山里(チョサンリ)戦闘を指揮した金佐鎮(キム・ジャジン)将軍(1889-1962年)、1919年に大韓民国臨時政府の憲法の臨時憲章を作成し、解放後に国会議員を務めたが韓国戦争(朝鮮戦争)で北に拉致された趙素昴(チョ・ソアン)先生(1989-1958年、本名・趙鏞殷)の名前もある。趙素昴先生はその後、東京に行き、留学生が2・8独立宣言をするのも支援した。最初の独立宣言の2・1大韓独立宣言が2・8独立宣言と3・1運動の導火線の役割をし、臨時政府の誕生にまで影響を与えたことを表している。


解放を見ることができなかった島山・安昌浩(アン・チャンホ)先生(1878-1938年)、朴殷植(パク・ウンシク)先生(1859-1925年)、申采浩(シン・チェホ)先生(1880-1936年)も含まれている。映画『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』で記憶に新しい詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ、1917-1945年)の祖父で独立活動家の金躍淵(キム・ヤクヨン、1860-1948年)の名前も見える。大衆によく知られている独立活動家の多くが参加した。西暦1919年の代わりに「檀君紀元4252年」と檀紀で書かれ、当時の人たちの認識を確認できる。

◆3・1運動と武装独立運動の導火線

この大韓独立宣言の後、東京で2・8独立宣言を発表し、国内では全国的に3・1独立宣言と万歳運動が行われ、韓国の独立運動に火がついた。海外では武装独立運動が本格化した。翌年の1920年には満州に駐留していた日本侵略軍を相手にした洪範図(ホン・ボムド)将軍の部隊による鳳梧洞(ボンオドン)戦闘(6月6、7日)、洪範図将軍と金佐鎮将軍の部隊など複数の独立軍連合部隊による青山里戦闘(10月21-26日)があった。独立運動史の輝かしい武装闘争だ。したがって1919年2月1日の「朝鮮独立宣言書」は武装独立運動の出発点となる宣言ともいえる。

◆武装独立運動に旧日本軍が報復虐殺

もう一つ忘れてはいけない歴史的な事件がある。鳳梧洞戦闘と青山里戦闘で敗れた旧日本軍が1920年10月から数カ月間、満州の間島(カンド)一帯の朝鮮人を虐殺して村を燃やす蛮行をしたという事実だ。間島惨変または庚申惨変と呼ばれる。同年10-11月に間島で虐殺された朝鮮人は少なくとも3469人にのぼる。その後の数年間に虐殺された人を合わせると、朝鮮人被害者は数万人にのぼると推定される。独立軍に拠点を提供する朝鮮人を大々的に虐殺し、独立軍が存在する場所をなくすという非人倫的、非人道的な日本帝国軍隊の戦争犯罪だ。



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