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【コラム】「三・一運動」100年の成功と失敗=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
三・一はわれわれの魂が死んでいないことを自ら確認したことでは成功だった。共同体の土台になる精神の爆発であり噴出だった。民衆の魂と志は枯れておらず、ただし指導者が力を合わせて正しくすればいつでも一緒にできるところを見せた快挙だった。以後、三・一は自由と平等、主権と平和を愛するわれわれ全員の滋養分になった。

三・一の最大の成功は過去の克服と国の統合だった。三・一以降、そして八・一五光復(解放)以降、伝統王朝と復辟主義は再び呼び戻されることはなかった。王政の弔鐘だった。

代わりに以前のすべての流れ・分派・理念・勢力は民衆の爆発に驚き、大韓民国と民主共和の旗印の下で一つになった。統合政府だった。それまでずっと分かれて争っていたが、これが初めてだった。親清・親露・親日・親米の間の言い争いがいかに恐ろしい結果を招いたかに気づいたためだった。民主共和統合政府は三・一の産物だった。


しかし三・一の統合精神は結局失敗した。大韓民国臨時政府の分裂と派閥争いは統合の跡さえ残さなかった。三・一以降に分かれた民族主義と共産主義、各陣営内部の激しい分裂と派閥争いはついに光復以降まで続いた。戦前に内戦を経験した国々でさえ、戦後は米ソ対決による分断・分裂・戦争を深く恐れて、大妥協を通じて連立・連帯・連合・統合政府を樹立している非常状況で、われわれ指導者は38度線を越える連帯・連合・統合政府を提案・推進・樹立する考えすら持たなかった。

李承晩(イ・スンマン)、金九(キム・グ)、チョ晩植(チョ・マンシク)、宋鎮禹(ソン・ジヌ)、金日成(キム・イルソン)、朴憲永(パク・ホニョン)、呂運亨(ヨ・ウニョン)は八・一五と帰国直後から託治論争移転時期に真っ先に全員が集まって連合・統合に合意するべきだった。それが三・一精神だった。しかし、執権・独占・奉戴・推戴・法統・唯一・創党をめぐり争い、世界が驚くことに賛託反託に分かれて世界で最も先駆けて理念戦争を始めた。大統合の三・一を完全に殺した大分裂だった。

三・一100年を迎えて今日の自分たちを振り返る。われわれは今、内部派閥争いと葛藤を超えて連帯と統合による制度と姿勢を備えているのか。民主のない共和はなく、共和のない民主はない。この2つは分離すれば残りの1つも死ぬ。また、対内平和のない対外平和はない。連合と統合、すなわち対内平和は対外平和の必須条件だ。その心と姿勢がないなら、敢えて三・一精神を受け継いだと/受け継ごうと言うのはやめよう。

パク・ミョンニム/延世大学教授・政治学



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