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【中央時評】神になろうとしている韓国政府(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
メディアは現実を「ありのまま」を映す鏡ではない。社会的事件と現象の中に含まれたファクト(fact・事実)と価値に迫り、包容と排斥、修正と変形を経て大衆が実体を判断するように枠(フレーム)を提示する。ジャーナリズムでは「実在の社会的再構成(social construction of reality)」という。新聞と放送は各自理念と指向する方向に従って、さまざまなフレームを描き出すことができる。それがメディアの多様性だ。

所得主導成長を評価する見解は進歩でも保守でも報道機関ごとに違うのが正常だ。共に豊かに暮らそうという社会主義的理想から見れば肯定的だ。だが、理念にこだわる中途半端な推進とみすぼらしい実績に注目すれば失望フレームが妥当だ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が先日、「否定的に報道する経済失敗フレームが強力に作動している」と述べてフレーム論争を起こした。最低賃金を勢いよく引き上げて国民の所得・消費増加と雇用創出で好循環させようとする取り組みを、一部が「失敗誇張フレーム」でゆがめているという認識が根底にある。ある者は「保守理念同盟の汚染された報道」と話してこれを助長した。ならば2008年BSE(牛海綿状脳症)波動をあおった「狂牛フレーム」は今何というのか訊ねたい。

文政府発足後、昨年末までに54兆ウォン(約5兆2600億円)が雇用創出に投入された。結果は最悪の雇用惨事と貧富の格差だ。54兆ウォンといえば、執権1年半(78週)の間に毎週約7000億ウォンを注ぎ込んだということだが、開いた口が塞がらない。ただ背中を暖かくして腹を満たしてほしいという人間の普遍的欲望が脅威を受ける状況を、悲観的フレームに入れることは非正常なのか。きれいなフレームに入れたからといって、醜く暗い現実がバラ色の風景画に変わったりはしない。それでもいままで来た道をこれからも変わらず進んでいくという自信を見ると、政府には「誤謬」(誤り)という単語はない。


フェイクニュース問題も「無誤謬」の罠にひっかかっている。文大統領は新年初めての国務会議(閣議に相当)で「政府政策を不当に、または事実と異なるように歪曲(わいきょく)し蔑視している」ものをフェイクニュースだと規定した。「キム・テウ-シン・ジェミン暴露事件」報道を意識した発言だと解釈される。キム・テウは「希代の奸計をめぐらせた不正行為者」であり、シン・ジェミンは「自分が経験した狭い世界の中のことを問題にした青年」として簡単に整理された。昨日、チョ・グク民情首席は「民間人の査察など不法行為は全くなかった」と宣言した。彼らの暴露と疑惑に対して合理的な疑いを提起した、それもごくわずかしか残っていない批判的メディアに、自分たちの誤謬を認めることはできないという無言の圧力が感じられる。



【中央時評】神になうとしている韓国政府(2)


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