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日本の劇団四季進出は「蚕食」か「チャンス」か



日本最大の劇団である劇団四季の韓国進出に対する論議が絶えないでいる。

四季は10月から国内初のミュージカル専用劇場「シャロッテ」でディズニー原作のミュージカル『ライオンキング』(写真)を無期限公演する予定だ。ところが韓国ミュージカル協会(会長ユン・ホジン)は「この地を日本公演の植民地に作りあげようとする文化侵略」として強力に反発している。


これに対し消費者の集まりであるミュージカル同好会などでは「国内製作者たちの権力争い」という冷笑的な反応だ。

四季韓国進出に関する賛否それぞれの意見を聞いてみた。





◆唯一のミュージカル専用映画館で安い入場料、日本の劇団だけの公演
「反対」--ウォン・ジョンウォン順天郷(スンチョンヒャン)大学新聞放送学科教授・ミュージカル評論家


2006年現在ミュージカル『ライオンキング』が公演される国家は米国、イギリス、オランダ、ドイツ、日本などだ。しかし四季の韓国公演のように100%外国の企画社によって製作されたケースは海外でも前例がない、極めて異例なことだ。韓国俳優を起用するだけのことだ。関税を払わずにすみ、韓国スタッフを参加させる義務もない。どんな制約や条件もなく、むしろ初ミュージカル専用劇場という祝福だけが彼らを待っている。

浅利慶太代表は「文化交流」と言う言葉を強調した。ディズニー原作のミュージカルをもってきて大企業ロッテが作った劇場で独占的権利を享受し、収益をあげるのが果たして交流だろうか。「交流」というよりは外国の大型文化資本によるローカル(韓国)市場の「蚕食」がもっとふさわしい表現だ。

『ジキルとハイド』など韓国ミュージカルも日本に進出したのに四季の韓国進出に何の問題があるのかと言うかもしれない。資本主義のグローバルな市場を考慮すればもっと時代錯誤的な反発とも見える。しかし現在、四季の韓国進出問題の中核は2つの、まさに「独占」と「非公正性」だ。もし日本に唯一のミュージカル専用映画館ができるのに韓国製作陣の作ったミュージカルが独占して無期限に公演されたら日本でもこれを受け入れるだろうか。「反独占の原則」は資本義の疾病を治癒する絶対的な規範だ。

現在の状況はスーパーマーケットのショーケースに日本の商品をもう1つ陳列するのではなく、手に届く最も良い位置に「四季」という商品が1つだけ陳列するようなものだ。価格の安い入場料は非公正性の代表的事例だ。上限値が9万ウォンと決まった背景には、安定した公演場の確保で継続的な売上を保障されたからだ。このような試みが、劣悪な国内製作者たちを崖っぷちに追いやるダンピング攻勢なら問題はもっと深刻になる。

観客の立場から韓国市場に対する不満を理解できないわけではない。我々ミュー垃カル界の体質改善を導く誘発剤になるという面も認める。問題は速度と規模だ。現在の四季の韓国進出は「ベンツをソナタより30%安い価格でほかの自動車販売商が入って来られない最も良い条件で単独で売ること」と見ればいい。

四季は、現在ほんのり甘くても韓国ミュージカルの根幹を揺さぶる、後にずっと高い対価を支払うことになる「毒薬」かもしれない。



◆民族主義を立てずに公演界の競争力を育てなければ
「賛成」--イ・ジョンヨンミュージカル同好会「オーマイミュージカル」運営者


観客は良いミュージカル作品を合理的な価格で見る権利がある。だからミュージカル専用劇場であるシャロッテの開館作品として日本の劇団四季による『ライオンキング』が選定され、価格も国内ミュージカルより30%安く策定されたことに対して反対する理由がない。もちろん韓国ミュージカル協会の心情を理解できないことはない。まともな公演場1つない国内で、それほどまでに待ちこがれたミュージカル専用劇場が四季に長く貸し出され、価格まで低く策定されたから反対するほかないだろう。しかしシャロッテは「独島」(トクト、日本名竹島)ではない。ただ大企業が作ったミュージカル専用劇場だ。もちろんシャロッテを建てたロッテも慈善団体ではない。かなりの高額と労力をかけたので収益を出せる公演を上演するほかなく、ロッテはその公演を『ライオンキング』に決めただけのことだ。

何より韓国ミュージカル協会に失望したところは劇団四季の作品に参加した俳優とスタッフを所属団体作品から「容赦なく」排除すると明らかにした点だ。こんな暴力に近い内容が声明書に堂々と書かれているなんて開いた口がふさがらない。

冷静に考えてみよう。今まで劣悪な条件の中で誰より苦労したのは俳優、スタッフたちだ。良い作品を作るために苦労しながら彼にふさわしい待遇は受けることができなかった俳優やスタッフたちが、良い条件で働くことができる機会をつかむことは当たり前の権利だ。いつまでも困難を理由に犠牲を強要することはできない。

観客も同じだ。公演による合理的な価格ではなく「我々製作者も暮らすためにこのくらいはもらわなければならない」といったふうのチケットの価格をこれ以上負担したくない。製作社間の過多競争で上がりに上がったロイヤルティーや割引を予想して策定される価格のバブルなどをいつまで観客が背負うことはできない。

2年前、四季が国内市場に進出しようとしたとき、プロデューサー協会の反対で霧散した。そのときの大部分の人々は、今は四季が退いたが、近いうちにまた来るだろうと予想していた。それから2年間、ミュージカル製作者たちは何をしていたのか問いたい。そのときも今も彼らは民族的感情を立てて観客の感情に訴えて、情けをかけてを誘発しようとしている。いつまでも反日感情と弱者の訴えが盾になることはできない。彼らの主張どおり劇団四季が「文化的侵略」をして来ていたら今からでもそれに相応しい競争力を育てるきっかけにすればいいと思う。

危機はすなわちチャンスだからだ。





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