今日の国際政治を理解する上でプリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授が提示した「3つの世界」という視点は有用だ。伝統的な西側諸国の「グローバルウェスト(Global West)」、中国・ロシア・イラン・北朝鮮とつながる新東側諸国の「グローバルイースト(Global East)」、そしてそのどちらにも完全には属そうとしない第三世界の途上国を中心とする「グローバルサウス(Global South)」が国際関係を形成している。すでに西側世界に参入した韓国が外交戦略を立てるにうえでは「どちら側に立つのか」という二分法的な選択ではなく、「これら3つの空間をいかに同時に扱うか」という複合的な配置術がさらに重要になった。
この中でも「グローバルサウス」の存在感は日増しに強まっている。インド、インドネシア、ブラジル、サウジアラビア、南アフリカのような国々はもう周辺部ではない。世界10位圏の経済規模、エネルギーや資源、人口や市場を武器に国際政治において実質的な交渉力を行使している。エネルギーの流れからロシアへの制裁、サプライチェーンの再編にいたるまで、これらの国の選択なしにはいかなる国際的な合意形成も困難だ。強大国が方向を決めれば世界がそれに従う時代は終わった。
しかしグローバルサウスは「雲」のような存在だ。遠くから見れば巨大な一つの塊に見えるが、近づくほど形がぼやけ、その中に入るとつかみどころない。一つの世界であるかのように言われるが、実際には互いに異なる国の利害関係が複雑に絡み合う空間だ。地理的な境界というよりは政治的状況の中で生み出されたこの概念を「実体」として誤解した瞬間、韓国外交は出発点から狂い始める。
これらの台頭を漠然とした期待と同一視するのも危険だ。グローバルサウスは各国の実利が支配する空間だ。これを一つの陣営と想定したり、当為的な連帯だけで引き寄せられると信じる瞬間、戦略は乱れる。BRICS内部を見てもインドと中国は競合し、中東諸国の間では緊張が漂っている。グローバルサウスとは各々が選択肢を広げるために集まっている巨大な「交渉の場」に近い。
我々はすでに高い授業料を払いながらこれを経験した。前回の万博誘致過程はグローバルサウスの真の姿を確認した痛恨の事例だ。我々は前例のない広範囲な接触を通じて協力と連帯を訴えたが、彼らの選択は冷静に利害関係に従った。状況が変われば立場も変えるのは彼らの気まぐれではなく生存戦略だ。これを道徳的に非難するよりも、その過程で我々が何を逃したのか、そして当時構築したネットワークをいかに実質的な資産へと転換するのかを悩まなければならない。外交は単発のイベントではなく蓄積の過程だからだ。
【中央時評】グローバルサウス接近法:外交の三分の計(2)
この中でも「グローバルサウス」の存在感は日増しに強まっている。インド、インドネシア、ブラジル、サウジアラビア、南アフリカのような国々はもう周辺部ではない。世界10位圏の経済規模、エネルギーや資源、人口や市場を武器に国際政治において実質的な交渉力を行使している。エネルギーの流れからロシアへの制裁、サプライチェーンの再編にいたるまで、これらの国の選択なしにはいかなる国際的な合意形成も困難だ。強大国が方向を決めれば世界がそれに従う時代は終わった。
しかしグローバルサウスは「雲」のような存在だ。遠くから見れば巨大な一つの塊に見えるが、近づくほど形がぼやけ、その中に入るとつかみどころない。一つの世界であるかのように言われるが、実際には互いに異なる国の利害関係が複雑に絡み合う空間だ。地理的な境界というよりは政治的状況の中で生み出されたこの概念を「実体」として誤解した瞬間、韓国外交は出発点から狂い始める。
これらの台頭を漠然とした期待と同一視するのも危険だ。グローバルサウスは各国の実利が支配する空間だ。これを一つの陣営と想定したり、当為的な連帯だけで引き寄せられると信じる瞬間、戦略は乱れる。BRICS内部を見てもインドと中国は競合し、中東諸国の間では緊張が漂っている。グローバルサウスとは各々が選択肢を広げるために集まっている巨大な「交渉の場」に近い。
我々はすでに高い授業料を払いながらこれを経験した。前回の万博誘致過程はグローバルサウスの真の姿を確認した痛恨の事例だ。我々は前例のない広範囲な接触を通じて協力と連帯を訴えたが、彼らの選択は冷静に利害関係に従った。状況が変われば立場も変えるのは彼らの気まぐれではなく生存戦略だ。これを道徳的に非難するよりも、その過程で我々が何を逃したのか、そして当時構築したネットワークをいかに実質的な資産へと転換するのかを悩まなければならない。外交は単発のイベントではなく蓄積の過程だからだ。
【中央時評】グローバルサウス接近法:外交の三分の計(2)
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