日本出国を控えて中央日報と会った読売ジャイアンツの李承燁(イ・スンヨプ)打撃コーチ ペ・ヨンウン記者
20年が経過した2026年、李承燁がまた読売のユニホームを着て東京ドームのダグアウトに立つ。当時の親しいチームメートだった読売の阿部監督が韓国人の李承燁を1軍打撃コーチとして招いた。NPBで指導者人生の新たな出発を控えた李承燁コーチは「読売というチームでコーチをするというのは自分にとって光栄なことだ。今年1年間は阿部監督をサポートしてチームが良い成果を出すことに集中する」と話した。
選手の李承燁は華やかしかった。韓国野球に多くの「8回の奇跡」をもたらした国家代表の4番打者であり、打てば柵越えのホームランの象徴だった。指導者の李承燁はイバラの道を歩んだ。2023年に斗山(ドゥサン)ベアーズの監督に就任したが、一度も「完全体」の戦力でチームを率いることができなかった。斗山は2年連続でポストシーズンの最初の関門ワイルドカード決定戦で敗退し、ファンの非難の声が高まった。結局、契約最後のシーズンだった昨年6月2日に辞任した。選手時代に拍手と賛辞に慣れていた李承燁は斗山の指揮棒を下ろした後の6カ月間を「省察の時間」と表現した。
「1、2カ月ほどは人ともほとんど会わず家で過ごした。その時、球団の車も返して、3週間ほどはバックパックを持って一人で歩いたりもした。また車を持った後は故郷の大邱(テグ)に行って知人や友人と会い、いろいろな話を聞きながらこれまでの時間を振り返った。斗山での時間だけでなく自分の人生自体を見直した。本当に大きな経験をしたようだ」。
李コーチは「自分自身に厳格で、他人に寛大になろう」という気持ちで選手生活を送った。一つのチームを率いる監督になってからもその原則を守ろうとした。「選手は野球場で思いっきりプレーすればよく、すべての責任は監督の私が取ればよい」という考えだ。しかし今は「選手と監督の原則は違う」と悟った。
「これからは私がもう少し強くならなければいけないと決心した。人に対する信頼があまり大きく、一人で考える時間があまりにも多かったようだ。私がもっと厳格で、もっと疑いを持ち、もっと声を出すべきだったと感じた。コーチや選手が少し疲れても、チーム勝利のためにはもう少し結果に没頭しながら確実にやっていく部分も必要だったのではないかと思う。私が考えた理想的なリーダーと実際に経験した現実の間に差が大きかったようだ」。
<野球>読売の打撃コーチとして新たに出発する李承燁「省察の時間…さらに強くなる」(2)
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