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【コラム】新たに読む日清戦争…1894年の銃声、日本の景福宮襲撃で始まった(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

日清戦争に従軍したフランスの記者が1899年に仏パリで撮った絵葉書 [中央フォト]

◆日本の歴史学者が明らかにした戦争の顛末

中国で活動した西洋宣教師の林楽知(ヤング・ジョン・アレン)は、日清戦争期間の中国と日本の関連資料と西洋メディアの記事を収集し、日清戦争の歴史の本を出した。『中東戦紀本末』だ。この本の「朝警記」を見ると、東学農民軍の蜂起と日本軍のソウル乱入を比較し「東学による朝鮮禍乱は小さくて日本による朝鮮禍乱が大きかった」と記録した。風島海戦については「日本による朝鮮禍乱に続き、日本による清国禍乱が出現した」と記述した。日清戦争とは日本の朝鮮侵略と日本の中国侵略を中国が防ぐことができなかった最近の事件だった。

中塚明氏は日清戦争で日本軍の景福宮占領問題の重要性に気づかせた日本の歴史学者だ。中塚氏は1994年、福島県立図書館の佐藤文庫で『日清戦史』草案を発見したが、これを日本陸軍参謀本部が公式発行した戦史と比較した結果、草案には日本軍の景福宮占領の転末が詳細に記録されていた半面、後に出た本には関連事実が脱落・偽造されたという結論に到達した。中塚氏は明治日本の朝鮮侵略という問題を通じて司馬遼太郎が喚起する「明治栄光論」を痛烈に批判した。


観点のある歴史の読み方。革命と戦争の月、7月を過ごし、歴史現場としての景福宮をもう一度考える。景福宮は日清戦争を読み解く新たな観点なのか。

◆朝鮮の電信線から断った日本軍

1894年7月23日、朝鮮景福宮に向かって出発した日本軍は真っ先に朝鮮の電信線を切断した。当時、朝鮮の基幹電信には西路電線(仁川-ソウル-義州)、南路電線(ソウル-釜山)、北路電線(ソウル-元山)があった。このうち清国が統制した西路電線の通信を断ったのだ。

日本軍は朝鮮の電信局を引き受け、南路電線と北路電線を統制下に置いた。またこれとは別に英国の了解を受け、西洋租界地を通るソウル-仁川区間に軍用電信線を架設した。日本軍の朝鮮通信掌握は日清戦争で日本軍に有利な環境を作った。

参考に当時の東アジアには海底ケーブルが架設され、迅速な通信が可能だった。1871年にすでに英国の東進電信会社(Eastern Extention Telegraph)が架設した電信路線(英国-インド-シンガポール-香港)とデンマークの大北電信会社(Great North Telegraph)が架設した電信路線(ウラジオストク-長崎-上海)があった。朝鮮の電信はこれと連結された東アジア支線の一部分だった。

ノ・グァンボム/ソウル大奎章閣韓国学研究院教授


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