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【時視各角】「狂った時代」を耐える方法

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
詰め込み式教育のおかげで、モンテーニュというヨーロッパ人が『随想録(エセー)』という本を出し、その中に収められた内容が随筆の嚆矢になったという断片的な常識はあったが、それが彼とその本に関して知っていることのすべてだった。そうこうしているうちに先月29日、ニューヨーク・タイムズのあるコラム(『Montaigne fled the plague,and found himself』)によって、彼と彼の本を死んだ知識の墓から取り出すことになった。米国ヒューストン大学Robert Zaretsky教授は、モンテーニュが黒死病(ペスト)の拡大を受け、自身が務めていたボルドー市長職を任期が終わらないうちに家族と一緒に田舎落ちして身を守ったと書いた。その逃避は、一方ではドロ沼の宗教戦争に巻き込まれないためだと説明した。

モンテーニュは1585年から約2年間、さまざまな場所を転々としながら避難生活を送った。その時に随想録3冊目を書き、前に出版した1冊目と2冊目を修正した。当時、黒死病によってボルドーで住民3分の1に該当する1万4000人余りが死んだ。折しもフランスは新教(カルヴァン派)と旧教(カトリック)の内戦が吹き荒れていた時期だった。信念の戦争であると同時に政治的ヘゲモニー争奪戦だった。モンテーニュは旧教徒だったが、新旧教の衝突で仲裁役をしていたと記録されている。

『随想録』には疲弊した世の中に対する達観と虚無の態度が随所に見られるが、序文はこのように結ばれている。「この本の読者よ、ここでは私自身がこの本の材料なのです。こんなつまらない主題のために大切な時間を浪費するのは本当にばかげています。では、さようなら」


伝染病とヘゲモニー闘争のあまりにも辛く厳しい時代を先に体験したモンテーニュはこの中でわれわれに「精神的処方せん」を残している。「笑うことが泣くことよりも愉快なのだからではなく、その方がもっと軽蔑的だからだ」「ディオゲネスは酒樽を転がして一人でうろつき、アレクサンドロスを鼻でせせら笑ったし、人間を願い事がぎっしり詰まった小便袋と見ていたため、彼は私が見るところ、人間の憎悪者というニックネームを持つティモンよりもさらに辛らつで鋭利で、さらに公正な審判者だった」。最近のニュースを読み、嘆いたり怒ったりしている人々に対する言葉のように聞こえはしないだろうか。

復しゅう心に囚われた者の横暴に対してはこのように書いた。「胸中の復しゅう心と怨恨を義務だと呼んではいけない。悪意と裏切りに満ちた行為を勇気と呼んでもならない。彼らは悪意と暴力へ向かう心を情熱だと呼ぶ」「悪意はその自らの毒をほぼ吸い込んで自分の毒で中毒する。悪徳は体の腫物とともに魂に傷を残す」。空虚な言葉で世の中を惑わす者を狙ってはこのような軽蔑の一文をぶつけた。「愚か者と誠実に討論することは不可能だ。強引なやり方で手強く出てくるような者の手にかかれば、自分の判断力だけでなく、良心まで腐ってしまう。(中略)プラトンはその国家論で無能な素質の愚かな者として生まれた者には論弁訓練を禁止している」

彼が提示した苦痛の時代を耐え抜く「精神勝利法」はこうだ。「愚か者が賢者から学ぶよりも賢者が愚か者から学ぶほうが多い。ある老いた音楽家は、弟子にすぐに前の家に住む下手くそな演奏者の演奏を強制的に聞かせて不調和音と間違った拍子を識別することができるように訓練した」「われわれは剣を用いてわれわれの勇気を強化したところで何の効果もない。われわれの肩が丈夫ならそれでよい。われわれのペン立てをインクに浸すようにさせればそれでよく、血に濡らすまではしない」

終りが見えない伝染病の世の中で、未開だった過去の遺物としか考えていなかった議会1党支配の暴挙まで覆った。権力周辺の人々の低質な発言と詭弁がうんざりするほど繰り返される。ゆううつ感と怒りを押さえ込むことができない者があちこちにいる。フランスの思想家ジャック・アタリは目の前の快楽だけ追う現代人に対して「私たちは笑っているうちに死ぬだろう」と警告したが、今の韓国には「腹が立ってどうしようもない」という人々が多い。そのような彼らに500年前に作成されたモンテーニュの処方を伝えたい。

イ・サンオン論説委員



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