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【コラム】まだ妓生を下に見るのか=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

韓国の総合芸術家と言われる「妓生」

100年前の三・一運動の時の話だ。ソウル長安(チャンアン)の名が知られた料亭「明月館」には憂国志士もしばしば出入りした。韓国人3人が集まれば日警が目をむいてすごんでいた時期、料亭は比較的出入りが自由だったので独立志士は明月館を連絡場所に使った。人力車をひく俥夫の中には苦学生が多く、彼らは愛国志士のつなぎ役としても活動した。時には妓生と恋に落ちたり…。

明月館の当代最高の妓生イ・ナンヒャン(1900~79)は半世紀前をこのように振り返った。「お金を湯水のように使ったり、前職の位が高いからと言って妓生の心をつかめるわけではなかった。愛国を知るようになった妓生の耳にも独立万歳の余韻が響き、愛国志士や憂国青年に従ういわゆる思想妓生が生まれた」(中央日報71年1月18日付『残したい話』)。今年2月に公開された映画『抗拒:柳寛順(ユ・グァンスン)物語』にも独立万歳を叫び投獄された水原(スウォン)妓生キム・ヒャンファのエピソードが登場する。主体的女性としての妓生に改めてスポットライトを当てた。

先週土曜日午後、全羅北道井邑市(チョルラブクド・チョンウプシ)古宅文化体験館(旧券番文化芸術院)にイ・ナンヒャンの歌曲『草堂の後ろに』がゆったりと流れていた。管弦楽伴奏とともに歌われた歌曲は、朝鮮時代に生まれた伝統声楽曲だ。「草堂の後ろにやってきて座りソッチャクソッチャク鳴く鳥よ~~、客窓に座りソッチャクソッチャク鳴く鳥よ~」。まさにその時、蓄音機から流れるイ・ナンヒャンの声が軒の下にぽたぽた落ちる梅雨の雨音と重なり私の切なく心を震わせた。


この日の行事は国楽評論家キム・ムンソン氏が進めた。「芸妓たちの足跡をたどって」をテーマにした人文学講座だ。「券番の音楽を語る-ソウル・平壌(ピョンヤン)の芸能人」が3時間行われた。今までは酒や笑いなど安っぽいイメージだけが目立った過去の芸能人の名誉回復を試みた。券番は日帝強占期に作られた妓生組合の名称だ。過去20年余り、券番の世界で活躍した芸能人100人余りと直接会ったキム氏の特講は妓生にまつわる偏見を打ち破るには充分だった。歌と踊りはもちろん、詩書画や各種礼法も学んだ総合芸術家「妓生」を復活させた。

たとえば、妓生になりたければ平均3年の教育過程を経なければならなかった。芸妓と言われるためには厳格なコースを踏まなければならなかった。傑出した歌い手や踊り子を多数輩出した平壌の妓生券番の場合、1~3学年別に週に6日、一日6時間余りの授業を受けた。歌曲・書画・時調(定型詩)・算数・舞踊・作文など科目が幅広く、時には西洋音楽も含まれた。ソウル・釜山(プサン)・大邱(テグ)・光州(クァンジュ)・開城(ケソン)・海州(ヘジュ)など地域券番の事情も類似していた。今なら韓国芸術総合学校、あるいは大型芸能企画事務所といえるだろう。



【コラム】まだ妓生を下に見るのか=韓国(2)

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