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韓日米の共助包括的な対北朝鮮アプローチの基礎固める…洪淳瑛氏が死去

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
韓国の外交通商部や統一部の長官をつとめた洪淳瑛(ホン・スンヨン)氏が30日死去した。77歳だった。

1961年に外交部から公職生活を始めた故人は、北米課長や駐国連代表部参事官、駐ロシア大使、駐ドイツ大使、駐中大使など幅広く歴任した。第2次官補だった89年には北方外交の実務の主役をつとめた。外務部の最高実務責任者としてブルガリア・ポーランドなどとの修交に寄与したという評価を受けている。

第5共和国時代に青瓦台(チョンワデ、大統領府)政務秘書官として在職した当時は、前任者の時から推進されていたアジア太平洋首脳会議の実現可能性が低いと主張して結局、政府に推進を中断させた逸話もある。83年のラングーン事件発生後には北朝鮮の工作の可能性に注目し、初動段階対応の方向を定めるのに重点的な役割をしたことで知られる。


金大中(キム・デジュン)政権時期である98年に外交通商部長官に就任した洪氏は、韓日米3カ国の共助を基盤とした包括的対北朝鮮アプローチの基礎を固めた。特に長官在任期間中に唐家旋・中国外相を韓国に招いて共に温泉浴を楽しみながら韓半島情勢と懸案を議論したエピソードは有名だ。当時「温泉外交」という言葉も流行した。

故人は2001年9月には統一部長官に任命された。だが同年11月、金剛山(クムガンサン)で開く予定だった第6次閣僚級会談の決裂の責任を負って任命4カ月で退いた。

遺族には夫人のチャン・ドンヨン氏と息子ジュンピョ氏〔蔚山(ウルサン)大学ソウル牙山(アサン)病院整形外科教授〕・ジピョ氏(青瓦台行政官)らがいる。葬儀は外交部葬で行われる予定だ。葬儀室はソウル牙山病院葬儀場33号室に用意された。出棺は3日午前7時、埋葬地は忠清北道提川(チュンチョンブクド・チェチョン)の先祖の墓地だ。



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