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年中太極旗を掲げる抗日拠点…所安島住民たちは「不逞鮮人」烙印も

[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 2019年03月13日 08時30分

写真拡大 日帝強占期当時、抗日運動の拠点だった莞島所安島。
  「日帝強占期当時、島の住民6000人のうち800人が不逞鮮人という烙印を押されたまま監獄に閉じ込められたり監視を受けたりした」。

  1927年5月10日に強制閉鎖された全羅南道莞島郡所安島(チョルラナムド・ワンドグン・ソアンド)の所安学校の歴史を扱った当時のメディア報道内容だ。日帝は当時、抗日運動の拠点という理由で所安学校を廃校した。住民たちは学校を再開するために署名運動に出たがそのせいで「不逞鮮人」になった。不逞鮮人は日帝に反発する「不穏で不良な朝鮮人」のことをいう。

  今年、三・一運動100周年を迎えて抗日運動拠点だった小さな島に関心が集まっている。日帝強占期の間、激しく組織的な抗日運動が展開していた莞島所安島だ。

  莞島から18キロ離れた所安島では、1800年代後半から光復(解放)の時まで抗日運動が続いていた。唐寺島(タンサド)灯台襲撃(1909年)や莞島三・一運動主導(1919年)、所安学校闘争(1927年)などが代表的だ。所安島は一年中島全域に太極旗がはためいている。太極旗は島の入口である所安港をはじめ、道路や通り、集落や商店街一帯に約1500本が掲げられている。所安抗日運動記念館を中心に、島全域に翻る太極旗には100年前の3月の雰囲気が残っている。

  この島では三・一運動よりも10年前に武装抗日運動が始まった。1909年2月に所安出身の東学軍イ・ジュンハ先生と集落の青年5人が唐寺島灯台を襲撃した事件を通じてだ。日本が建てた唐寺島灯台は朝鮮から収奪した物資を積み出した日本商船の航路を照らす役割を果たしていた。当時、住民たちはこの灯台を守っていた日本人4人を処断することによって抗日意志に火を点けた。唐寺島は直線距離にして3.7キロメートル離れた所安島の付属島だ。

  10年後に三・一運動が勃発したという便りに住民たちは再び立ち上がった。当時、所安島独立活動家は、1919年3月15日莞島邑の市が立つ日に開かれた万歳運動を主導した。ソウルで三・一運動が起きた後、14日間、太極旗と独立宣言書を謄写するなど緻密に偉業を準備した結果だ。当時1000人余りが参加した三・一五万歳運動は、南海岸一帯の抗日意志を集結させる役割を果たした。莞島郡では今年も100年前の所安島民の抗日意識を称えるために今月15日に万歳運動を開く。所安抗日運動記念事業会長のイ・デウクさん(65)は「太極旗の掲揚とムクゲの木の植樹などを積極的に展開することによって所安島の抗日歴史を全国民に知らせたい」と話した。
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