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【社説】韓国の歴史教科書、コンテンツの不十分さが問題だ

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
歴史教科書をめぐる古びた理念論争が繰り返されている。昨年触発された教学社発の教科書偏向問題が最近の裁判所の判決を契機に再び火が付く様相だ。ソウル行政裁判所は2日、金星社、天才教育などの高校歴史教科書6種に対し、「教育部が下した修正命令は適法だ」との判決を出した。誤解の素地がある表現を正し学校現場の混乱をなくすには修正の必要性があるということだ。

反応はくっきりと分かれる。保守陣営は歓迎し反対側は反発する。該当教科書の執筆者は控訴の意向を明らかにした。

核心は2つだ。今回の判決が歴史歪曲と偏向性を正す適切な措置だったか、そうでなければ学問の自律性を侵害する過度な統制かだ。修正命令を受けた教科書を開けてみると2つの観点が混在している。「朴正熙(パク・チョンヒ)政権の開発政策が1997年の通貨危機を招いた」という内容や、「哨戒艦・延坪島(ヨンピョンド)事件の挑発主体を北朝鮮と明示しないこと」などがその例だ。生徒たちの理解を助けるためには20年という時間的距離に対する説明が必要で、挑発主体を明らかにするのが妥当だ。既存の記述では青少年にややもすると特定政派に対する反感や北朝鮮の仕業でないという陰謀説を刺激する恐れがある。執筆者は「学者の歴史認識すら裁断する過剰な判決」と主張する。引用符の中の言葉だけでは一理あるがそれが教科書ならば話が変わる。


私たちは基本的に教科書の理念化を警戒する。近代歴史学の父と呼ばれるドイツのランケが話したように「ありのままのファクト」を客観的に記述することが史学者の責務ではないのか。歴史を見る視点は多様になるがその基本はファクトでなければならない。歴史の記述は事実性・客観性・透明性にその生命力がある。しかも青少年のアイデンティティと国家観に大きな影響を与える教科書はさらにしっかりとしなくてはならないのではないのか。

ところが韓国の現実はどうなのか。教育現場と学界では理念論争が騒がしいだけでコンテンツに対する悩みは不足する。旧日本軍慰安婦に対する記述だけ見ても恥ずかしいことこの上ない。志学社の教科書の場合「日帝は1930年代初めから若い女性たちを日本軍慰安婦として引っ張っていき性奴隷とした」というわずか1文に「慰安婦少女像」の写真説明がすべてだ。他の教科書も変わらない。ほとんどの教科書は柳寛順(ユ・グァンスン)烈士に対する記述まで漏らした。

執筆者のうち学問的実績が明確な権威者を探すのが難しいという点を指摘する見方がある。それならば歴史認識より執筆能力の問題ではないのか。不十分な教科書に対する根本責任はもちろん教育部にある。問題の教科書は民間出版社が製作して政府の承認を受けた検定だが不十分な教科書に判を押した当事者が教育部だ。的確性・客観性などの欠陥をまともに取り除くことができず理念・不十分議論を呼んだのだ。

理念よりさらに重要なコンテンツを強化するにはシステム整備が切実だ。まず、政権の性向に振り回されない独立的歴史機関が必要だ。専門性・中立性を保障し史観の中心をつかめるようにしようということだ。2番目に、審議過程を強化し出版社の構成物から細かく見なければならない。慰安婦記述の場合、そうした過程がなかった。これが教育過程上2018年に反映できようになるとは開いた口がふさがらない。3番目、国定教科書への転換議論は禁物だ。教育部はこれを機に直接教科書を作ろうとする意図だがこれは数十年前に時計を戻すことだ。国定教科書はベトナムや北朝鮮などでやる方式だ。

学界の自省も必要だ。理念論争に熱を上げる教授の目には勉強に抑圧された子どもたちの苦痛が見えないのか。(中央SUNDAY第421号)





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