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<慰安婦生存者13人証言>「看護師させると言われ稼ごうと行ったが…」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

先月イ・キジョンさんが忠清南道唐津(チュンチョンナムド・タンジン)の家で「人にだまされて、とてもひどい目にあったが、訪れてくれる人たちや爪を切ってくれる孫娘がいて感謝している」と話した。

「朝、おかしなカササギの声がカーカ、カーカと聞こえて。そうだ、孫娘が来る時、我が家にもお客さんがいらっしゃるときはそうだった」。

忠清南道唐津(チュンチョンナムド・タンジン)で会ったイ・キジョンさん(90)は、見知らぬ者たちを温かく歓迎してくれた。孫娘が月に1回、保健所の人たち2週間に1回訪ねてくるだけなので寂しいといった。昼間には療養保護士がおばあさんの話友達になるが、多くの時間は1人で過ごす。30度を超える暑さに疲れて横になっていたおばあさんは、何度も「訪ねて来てくれてありがとう」と言いながら体を起こし、扇風機をつけてヨーグルトやアイスクリームを出してきた。

「体の具合が悪くて教会行けなくなってから1年になる。足が中風になって倒れて救急車に乗せられて手術をして1カ月入院した。その時から歩くことができなくて。そのまま座ったままだ。賛美歌もみな忘れてしまって」


おばあさんの太ももには指ほどの傷跡があった。昨年の転倒事故で関節に大ケガをしたためだ。「痛くない時にはあれ(歩行補助器)を引っ張ってたくさん歩いた。外にいるときにしっかり立っていられるように政府がくれたよ」。しかし今では簡単に1歩を踏み出せない。痛みが激しくなった上に補助器の脚もすりへっているからだ。「ずるずる引きずっていたからゴムのパッキングがすりへって、なくなってしまった。(高さを)上げたら良くなったよ」

イさんが市場に行ったり散歩したりする時、いつも頼っている歩行補助器。おばあさんはふと外をぼんやりと見渡した。「生きているのが苦労だから何だというのか。天国に行けば何の心配もないだろう。年をとれば、来る人もいなくて良いという人はいない」。おばあさんは15歳でシンガポールに慰安婦として連れて行かれた。看護師になりたくて故郷の唐津を離れたが、慰安婦になった。「15歳で(慰安所に)行ったが…看護師をさせるといって金を稼ぐために行った。ところが変な場所に引っ張られて行って。砲弾の爆発する音が聞こえて…」。



<慰安婦生存者13人証言>「看護師させると言われ稼ごうと行ったが…」(2)

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