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世界最初の日刊紙は朝鮮時代の新聞?推定文書発見

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

志逢僧侶が公開した1577年陰暦11月23日付朝報。昨夜の天気が記録されている。

『朝鮮王朝実録』の記録で言及されていた世界最初の新聞「朝報」の実物とされる文書が発見された。今までは1660年、ドイツで発行された「ライプチガー・ツァイトゥング(Leipziger Zeitung)」が世界最初の新聞に知られている。

慶尚北道永川市(キョンサンブクド・ヨンチョンシ)の也史洞(ヤサドン)に位置した龍華(ヨンファ)寺の住持・志逢(チボン)僧侶は「今月上旬に古書籍の競売サイトで入手した」と18日、話した。志逢僧侶は「1月に競売サイトに朝報が登場したが、4月まで誰も関心を示さなかった。私が20年間、書誌研究に関心を注いできたので入手することになった」と付け加えた。

志逢僧侶が入手した資料は8枚となっている。朝報に掲載されたものと見られる記事が含まれている。1577年陰暦11月6日や15日、19日、23日、24日など計5日分だ。6日付には恭懿殿(仁聖大妃)にご機嫌をうかがう内容、経筵(王と臣下が国政を協議し学問を論じること)が開かれなかったという内容が記されている。15日付には数百匹の牛が伝染病にかかって死んだという内容も載せられている。23日付にはその日の天気や星座を記録した内容がある。24日付には刑曹正郞李廷馨(1549~1607)など臣下の人事移動の内容が記されている。


朝報に対する記録は『朝鮮王朝実録』の中で『宣祖実録』1577年陰暦11月28日付に初めて登場する。宣祖が偶然に朝報の存在に気付いて大臣たちを叱る内容だ。また、朝報の発行に参加した約30人に過酷な刑罰を下したと、『宣祖実録』に記されている。

宣祖が朝報の発行にこのように怒った理由は、民間や外国に国家の機密を漏洩して王室の面子がつぶれたと見なされたためと見られる。志逢僧侶は「朝報の発行は当時、朝廷では非常に大きな事件だった。朝報を発行した人々は突然姿を消し、朝報を入手した人々もこれを廃棄したり、隠したりしなければならなかった」と説明した。実際に今回発見された朝報とされる文書も書籍の表紙を作る際にリサイクルされていたところ、遅まきながら発見された。

慶北大学文献情報学科のナム・グォンヒ教授は「形態的・内容的な面で見ると、本物である可能性が大きい」とし、ただ残念なところは、朝報のごく一部だけが発見されて文化財として認められるには困難があるようだ」と評価した。

書誌学者のキム・ヨンボクさんは「朝報は、中央政府の主な決定や人事事項などを地方官庁に伝える役割を果たしていた」とし、「これまで朝鮮後期の筆写本の朝報がたびたび発見されてきたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)前の朝鮮前期に印刷された朝報はまだ見つかっていない」と話した。彼は「今回の遺物が(8枚の)紙切れの形となっていることから、もう少し正確な追跡研究が必要だ」とした。



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