--社会的に成功した秘訣は何だとみているか。
「出会いと、時には運の産物なので何とも言いにくい。奇跡に秘訣はない。両親と彼らが私に施してくれた教育に多くの恩恵を受けた。支えになるのは自分自身の努力と忍耐、根気という言葉をいつも言い聞かせてきた。フランスの教育制度、特に公教育の恩恵も多く受けたと考えている。フランスの教育制度のおかげで学位を取り、職業的な経歴を積み、政治的参加も可能になった。要するに私の家族と私の国、そして若干の努力のおかげだ」
--ピアノ演奏が好きで、歌うのも好きだと聞いた。今でも家で時々ピアノ演奏をし、歌も歌うのか。
「そうする時もある。ピアノは主にクラシックを弾く。ピアノの伴奏をしながら友人らと歌うのも好きだ」
--(長官になって以降、小説を1冊も読めなかったと話して文化長官の資格論争に包まれたりもしたが)この頃は小説を読む時間があるか。
「読書を中断したことはない。長官の職をひきうけた後、業務に私の生活をすべて捧げなければならないので以前よりもあまり読めなくなったのは事実だ。長官になるということは一種の自己犠牲だ。個人的な楽しみを考える余裕がない。代わりにフランス人に役立つ仕事をするところから喜びを見出している。私の個人的な楽しみはその次だ。休暇の時にたくさん読む。この夏には15冊程度読んだ」
--例えばどんな本を?
「ヤスミナ・カドラ、ローラン・ビネ、デルフィーヌ ドゥ・ヴィガンなど文学シーズンの開幕祭に合わせて出た新刊を主に読んだ。今回の韓国出張の際に読もうとマーティン・エイミスの『関心区域』という本も買ってきた。長官を辞めたらその間に読めなかった本を熱心に読むつもりだ」
--(韓国の実の)両親を探してみるつもりはあるか。
「ない」
--彼ら側から先に連絡してきたことはないか。
「ない」
--娘に自身のツールについて説明したことがあるか。
「もちろんある」
--とても洗練された服を着るようだ。常連のブティック店はあるか。
「ない。私は一度服を買えば捨てずに長く着るスタイルだ。約20年前の学生時代に着た服を今でもたびたび着ている。幸い、スタイルが大きく変わらないタイプだ。外国に行ったりする時に若いデザイナーが夕方の会食用の衣装を貸す場合がたびたびある。フランスの若いデザイナーを激励するためにそのような服をわざわざ着たりもする」
--「韓仏相互交流の年」に合わせてフランス国立図書館に保管されている世界最初の金属活字本である『直指心体要節』の韓国貸与展示を推進する意志はないか。
「韓国の大統領と文化長官に会ったが、この問題については誰も取り上げなかった。双方の国立図書館の間に『直指心体要節』などフランス国立図書館が保有中のハングル蔵書についての研究を深めるための科学的協力が進んでいるそうだが、私が公式に要請を受けたことはない」
ペ・ミョンボク論説委員・巡回特派員
ペルラン長官は…1973年8月ソウル生まれ(誕生名キム・ジョンスク)。生後3~4日後に道端に捨てられ、孤児院に預けられる。生後6カ月でフランスの養父母と養子縁組みをする。養父は核物理学者。ほかの人々よりも2年はやく16歳で科学分野の大学入学資格試験(バカロレア)に合格。商経系グランゼコールのESSECと政治・官僚系のエリートコースであるパリ政治学院(シアンスポ)と国立行政学院(ENA)を卒業。フランス監査院の経済・デジタル担当監査官、イラク・ニューヨーク・ジュネーブ駐在国連組織監査委員会外部監査官、フランス21世紀クラブ会長など歴任。2012年フランソワ・オランド社会党大統領選候補陣営で社会・デジタル経済担当補佐官として参加。その年の6月オランド大統領の当選と共に中小企業・革新・デジタル経済担当長官として入閣。2014年4~8月対外交易・観光開発・在外同胞担当長官。同年8月から文化・コミュニケーション長官。
<インタビュー>私が成功したとすれば、それは養父母とフランス公教育のおかげ(1)
<インタビュー>私が成功したとすれば、それは養父母とフランス公教育のおかげ(2)
「出会いと、時には運の産物なので何とも言いにくい。奇跡に秘訣はない。両親と彼らが私に施してくれた教育に多くの恩恵を受けた。支えになるのは自分自身の努力と忍耐、根気という言葉をいつも言い聞かせてきた。フランスの教育制度、特に公教育の恩恵も多く受けたと考えている。フランスの教育制度のおかげで学位を取り、職業的な経歴を積み、政治的参加も可能になった。要するに私の家族と私の国、そして若干の努力のおかげだ」
--ピアノ演奏が好きで、歌うのも好きだと聞いた。今でも家で時々ピアノ演奏をし、歌も歌うのか。
「そうする時もある。ピアノは主にクラシックを弾く。ピアノの伴奏をしながら友人らと歌うのも好きだ」
--(長官になって以降、小説を1冊も読めなかったと話して文化長官の資格論争に包まれたりもしたが)この頃は小説を読む時間があるか。
「読書を中断したことはない。長官の職をひきうけた後、業務に私の生活をすべて捧げなければならないので以前よりもあまり読めなくなったのは事実だ。長官になるということは一種の自己犠牲だ。個人的な楽しみを考える余裕がない。代わりにフランス人に役立つ仕事をするところから喜びを見出している。私の個人的な楽しみはその次だ。休暇の時にたくさん読む。この夏には15冊程度読んだ」
--例えばどんな本を?
「ヤスミナ・カドラ、ローラン・ビネ、デルフィーヌ ドゥ・ヴィガンなど文学シーズンの開幕祭に合わせて出た新刊を主に読んだ。今回の韓国出張の際に読もうとマーティン・エイミスの『関心区域』という本も買ってきた。長官を辞めたらその間に読めなかった本を熱心に読むつもりだ」
--(韓国の実の)両親を探してみるつもりはあるか。
「ない」
--彼ら側から先に連絡してきたことはないか。
「ない」
--娘に自身のツールについて説明したことがあるか。
「もちろんある」
--とても洗練された服を着るようだ。常連のブティック店はあるか。
「ない。私は一度服を買えば捨てずに長く着るスタイルだ。約20年前の学生時代に着た服を今でもたびたび着ている。幸い、スタイルが大きく変わらないタイプだ。外国に行ったりする時に若いデザイナーが夕方の会食用の衣装を貸す場合がたびたびある。フランスの若いデザイナーを激励するためにそのような服をわざわざ着たりもする」
--「韓仏相互交流の年」に合わせてフランス国立図書館に保管されている世界最初の金属活字本である『直指心体要節』の韓国貸与展示を推進する意志はないか。
「韓国の大統領と文化長官に会ったが、この問題については誰も取り上げなかった。双方の国立図書館の間に『直指心体要節』などフランス国立図書館が保有中のハングル蔵書についての研究を深めるための科学的協力が進んでいるそうだが、私が公式に要請を受けたことはない」
ペ・ミョンボク論説委員・巡回特派員
ペルラン長官は…1973年8月ソウル生まれ(誕生名キム・ジョンスク)。生後3~4日後に道端に捨てられ、孤児院に預けられる。生後6カ月でフランスの養父母と養子縁組みをする。養父は核物理学者。ほかの人々よりも2年はやく16歳で科学分野の大学入学資格試験(バカロレア)に合格。商経系グランゼコールのESSECと政治・官僚系のエリートコースであるパリ政治学院(シアンスポ)と国立行政学院(ENA)を卒業。フランス監査院の経済・デジタル担当監査官、イラク・ニューヨーク・ジュネーブ駐在国連組織監査委員会外部監査官、フランス21世紀クラブ会長など歴任。2012年フランソワ・オランド社会党大統領選候補陣営で社会・デジタル経済担当補佐官として参加。その年の6月オランド大統領の当選と共に中小企業・革新・デジタル経済担当長官として入閣。2014年4~8月対外交易・観光開発・在外同胞担当長官。同年8月から文化・コミュニケーション長官。
<インタビュー>私が成功したとすれば、それは養父母とフランス公教育のおかげ(1)
<インタビュー>私が成功したとすれば、それは養父母とフランス公教育のおかげ(2)
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