「私が日本の環境に合わないのは事実だ」。
地球温暖化研究に対する功労が認められて、今月5日ノーベル物理学賞の共同受賞者に選ばれた日系米国人で米国プリンストン大学上級研究員の真鍋淑郎氏(90)が日本式「研究室文化」に苦言を呈した。真鍋氏は愛媛県で生まれて東京大学で博士過程を修了した後、渡米して米海洋大気局に勤務して米国籍を取得した。ノーベル賞受賞者と発表された直後、「日本に戻りたくない」と発言して日本国内で大きな話題になった。
真鍋氏は15日、日本経済新聞とのインタビューでその理由を打ち明けた。
真鍋氏は「米国では学会でかんかんがくがくの議論が繰り広げられる。ある学説に反対する研究者がいると発表の席で問題点を指摘し、白熱すると特別に時間をとり議論を続ける。これが日常茶飯事だ」とし「私はライバルたちと議論し、納得できる点は受け入れて研究を進化させてきた。日本ではほとんどみられない」と指摘した。
真鍋氏はまた、若手研究者が自由に自分のアイデアを深めることができる環境を作ることが必要だと訴える。
真鍋氏は「日本では、ボスが自らの後継者を育てるために若手を使っている」とし「これでは、新しい分野を切り開くことはできない」と指摘した。あわせて「かつて私のボスだったジョセフ・スマゴリンスキー氏は資金を獲得してきたが、コンピューターで気候を予測するという大きなテーマを示すだけで、具体的なことは私に任せてくれた」とし「私は幸運にも研究だけやってこられた。研究計画書を書いたことがなく、マネジメントをした経験もない」と経験談を紹介した。
後輩科学者には「好奇心」の重要性を強調した。
真鍋氏は「私は最初に作った気候モデルを試すために、演習問題としてCO2濃度を2倍にしてみた。すると、気温が2.3度上昇するという予想外の結果が出た。当時は温暖化がこれほど大きな問題になるとは考えなかったし、ノーベル賞を受賞するとも想像しなかった」とし「研究は好奇心から始めるべきだ。私が約60年にわたって研究を続けてこられた原動力だ」と述べた。
地球温暖化研究に対する功労が認められて、今月5日ノーベル物理学賞の共同受賞者に選ばれた日系米国人で米国プリンストン大学上級研究員の真鍋淑郎氏(90)が日本式「研究室文化」に苦言を呈した。真鍋氏は愛媛県で生まれて東京大学で博士過程を修了した後、渡米して米海洋大気局に勤務して米国籍を取得した。ノーベル賞受賞者と発表された直後、「日本に戻りたくない」と発言して日本国内で大きな話題になった。
真鍋氏は15日、日本経済新聞とのインタビューでその理由を打ち明けた。
真鍋氏は「米国では学会でかんかんがくがくの議論が繰り広げられる。ある学説に反対する研究者がいると発表の席で問題点を指摘し、白熱すると特別に時間をとり議論を続ける。これが日常茶飯事だ」とし「私はライバルたちと議論し、納得できる点は受け入れて研究を進化させてきた。日本ではほとんどみられない」と指摘した。
真鍋氏はまた、若手研究者が自由に自分のアイデアを深めることができる環境を作ることが必要だと訴える。
真鍋氏は「日本では、ボスが自らの後継者を育てるために若手を使っている」とし「これでは、新しい分野を切り開くことはできない」と指摘した。あわせて「かつて私のボスだったジョセフ・スマゴリンスキー氏は資金を獲得してきたが、コンピューターで気候を予測するという大きなテーマを示すだけで、具体的なことは私に任せてくれた」とし「私は幸運にも研究だけやってこられた。研究計画書を書いたことがなく、マネジメントをした経験もない」と経験談を紹介した。
後輩科学者には「好奇心」の重要性を強調した。
真鍋氏は「私は最初に作った気候モデルを試すために、演習問題としてCO2濃度を2倍にしてみた。すると、気温が2.3度上昇するという予想外の結果が出た。当時は温暖化がこれほど大きな問題になるとは考えなかったし、ノーベル賞を受賞するとも想像しなかった」とし「研究は好奇心から始めるべきだ。私が約60年にわたって研究を続けてこられた原動力だ」と述べた。
この記事を読んで…