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<リセットコリア>暗い韓国経済、突破口は「セルフリセット」しかない(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
1997年11月16日午後、金浦(キンポ)空港に到着したタイ発の飛行機。中年の外国人男性が一般乗客とともに航空機のタラップから降りてきた。彼は入国手続きを済ませた後、出迎えにきた韓国人男性と車に乗って空港を去って行った。当時、彼を知る人は誰もいなかった。しかしわずか1週間後、彼はすべての韓国人が知る存在となった。当時のミシェル・カムドシュ国際通貨基金(IMF)総裁だった。

経済危機の代名詞のように認識されている「IMF」はこのようにちょうど20年前、通貨危機のピークに我々のそばに来た。そして津波のように一挙に国民を襲った。長いあいだ危機を知らずに突っ走ってきた韓国経済がメガトン級の試練に直面した瞬間だ。カムドシュ総裁が密かに韓国を訪問した5日後の11月21日、政府はIMFに救済金融を申請した。

韓国が通貨危機を避けられなかった原因は何だったのか。金大中(キム・デジュン)政権の最初の財政経済部長官で「IMF体制」初期に危機克服作業を指揮した李揆成(イ・ギュソン)元長官は著書『コリアンミラクル4:通貨危機の波を越えて』で大きく4つの理由を挙げた。▼韓国経済と企業の構造的脆弱性▼準備ができていない状況での対外開放拡大▼海外からの過度な短期資金借入▼アジア通貨危機--に代表される当時の国際金融体制の不安定性だ。


最も大きな問題はやはり構造的な脆弱性だった。当時、韓国経済・企業は高度成長30年の積弊が累積し、膿んだ状況だった。企業は成長に酔って他人の資金を借り、規模の拡大に全力投球した。過剰・重複投資は日常的であり、財務構造は脆弱だった。1997年の製造業者の負債比率は平均396%に達した。李元長官は「政経癒着の普遍化で『大企業はつぶれない』『銀行不敗』などモラルハザードも蔓延していた。グローバルスタンダードとかけ離れたまま経済の脆弱性をそのまま露出していた状況」と述べた。

「IMF体制」は寒くてつらかった。強度が高いIMFの構造改革要求を満たす過程で企業と銀行は次々とつぶれ、会社員は失業した。1997年の1年間に倒産した企業は30大企業の8社を含む計1万7000社だった。年7-8%だった経済成長率は1988年には-5.5%に落ちた。同和銀行など5行が消え、第一銀行と外換銀行は外国系ファンドに売却された。失業者が増え、青年は就職できなかった。1998年2月、失業率は8.8%、青年失業率は14.5%まで上昇した。



<リセットコリア>韓国経済、突破口は「セルフリセット」しかない(2)

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