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伊藤豊雄氏「東日本大震災後、建築哲学に悩む」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「建築は、果たして誰のために存在するのか」。40年間世界の建築界の中心で活躍している建築家・伊藤豊雄氏(72)がずっと持ち続けているテーマだ。

4月に「建築界のノーベル賞」と言われるプリツカー(Pritzker)賞を受賞した彼が、8日から11日まで開かれるヘラルドデザインフォーラムの講演者として韓国を訪れた。8日午前、ソウル漢南洞(ハンナムドン)のブルースクエアで開かれた記者懇談会で彼は「2年前に起きた東日本大震災が、日本の建築家に、建築が持つ社会的意味を深く悩ませることになった」とした。

東京大学で建築を学んだ彼は40代までに『風の塔』(1986)、『八代市立博物館』(1991)など明るく洗練された印象の建物を主に設計して好評を博してきた。当時は「美しい建物を作るという考えがあっただけで、社会が建築家に求めていることが何なのか分からなかった」という。


2001年に完工した『せんだいメディアテーク』が彼の建築人生を変えた。「周辺の反対を押し切って、大胆に壁を崩して開かれた構造の建物をつくった。建物が完成して地域住民たちが満足するのを見て、建築は社会に何か寄与できるんだと悟ることになった」。

彼の変化が最も大きくあらわれたのが東日本大震災後に進めた『みんなの家(Home-For-All)』プロジェクトだった。建築家らと被害地域を回って住民たち1人ひとりに会った。災害で家族と自宅を失った彼らの小さな広間である『みんなの家』は、現在まで8棟が建てられた。「連なった仮設住宅に住む彼らにはプライバシーを守る空間が必要だと思うだろう。だが彼らが本当に望んでいたのは共にご飯を食べて話を交わす空間だった」。

「都市にいる時よりも田舎で村民らと話を交わしてインスピレーションを得る」という彼は、3年前から小学生を対象にした建築学校も運営している。1カ月に1度、直接子供たちに会うと思いがけず奇抜なアイデアがあふれてくるという。「建築家として成し遂げたい夢」を尋ねた質問に彼は「その子供たちの中から立派な建築家が1人出てきたら、私には最高のプレゼントになる」と語った。



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