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【中央時評】“韓国国宝1号”崇礼門のきのうときょう(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
崇礼門(スンレムン、南大門)が5年3カ月ぶりに復旧された。朝鮮太祖5年に創建されてから壬辰倭乱と丙子胡乱、6・25戦争など多くの戦乱に耐え抜いた崇礼門は2008年2月にある放火犯により石垣だけ残し焼失してしまった。

礼の字は五行の火、方位の南を示す。縦に書かれた崇礼は沸き上がる炎を意味するが、南側の冠岳山(クァンアクサン)の火気から景福宮(キョンボックン)を保護するため他の城門と違い扁額を縦書きにしたという。しかし譲寧大君(ヤンニョンデグン)の文字とされた天下の名筆も防火前科者による犯行を防げなかった。崇礼どころか非礼を越え無礼も甚だしい歴史否定の蛮行だった。

ネロ皇帝はローマ市街地に火を付けた後、狂気に包まれキタラー(古代ギリシャの弦楽器)をつま弾き歌を口ずさんだという。放火犯は燃え上がる炎を見つめて耽美と浄化の喜悦に全身を震わせるというが、真っ黒な灰に変わった崇礼門の残骸の前で私たちの胸はまるで魂でも盗まれたかのように痛く燃え上がった。


火災が起こると文化財庁と消防当局は国宝1号に対する畏怖のためなのか初期には積極的な消火作業ができず被害を拡大したという批判を受けた。これに先立ち市庁前広場の開放で市民の人気を得たソウル市は火災報知器や警報施設さえまともに備えないまま崇礼門を突然開放し、管理責任を務める中区庁は警備サービス契約を締結しながら漏電や放火による損害に対し責任を問わないという免責約定までしたという。人気に目のくらんだポピュリズム行政は国宝1号の焼失につながった。

文化財の受難はそれよりさらに遡る。襄陽(ヤンヤン)の洛山寺(ナクサンサ)と昌慶宮(チャンギョングン)の文政殿(ムンジョンジョン)、世界文化遺産である華城(ファソン)の西将台(ソジャンデ)楼閣はすべて炎に包まれた。国宝285号である盤亀台(パンクデ)の壁画は50年近く水の流れで削られている。

文化財は単なる遺物でない。それ自体が生きて息をする歴史だ。タリバンが人類文化遺産であるバーミヤンの石仏を爆破した時、世界の知性はその衝撃的バンダリズムの前に驚いた。壊されたのは岩の塊だったが、消えたのは歴史で、飛んで行ってしまったのは文化だった。

先進国は文化財を国の核心基盤に指定し、それぞれの文化財ごとに個別に特化した防災体系を稼動している。復旧した崇礼門にはスプリンクラー、熱感知器、防犯カメラなどをあまねく備えたとしても国宝の運命を機械装置にだけ任せることはできない。度量が広い歴史意識、細心な世話が門楼にこもらなければならない。



【中央時評】“韓国国宝1号”崇礼門のきのうときょう(2)

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