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壬辰倭乱当時に書かれた李舜臣の親筆の手紙、内容は…

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

李舜臣将軍が露梁海戦を4カ月余り後に控えた1598年7月8日に物品支援を担当した韓孝純に送ったとみられる親筆の手紙。

壬辰倭乱末期に守勢に追い込まれた朝鮮海軍は明から派遣された水軍と連合軍を構成して反撃に出ることになる。当時明軍と合流を準備した李舜臣(イ・スンシン)将軍の面貌を垣間見られる親筆の簡札(手紙)が初めて公開された。

書誌学者のキム・ヨンボク氏は9日、今回の簡札を公開しながら「光復以後に発見された李舜臣将軍の簡札のうち状態が最も良く価値ある内容を含んでいる」と評価した。李舜臣将軍が残した簡札は現在10通余りが伝わっているが、大部分が内容全体を把握することはできない端物だったり親戚らに送った私的な手紙が大部分だった。

今回公開された簡札は李舜臣将軍が戦争中に書いた「乱中日記」に含まれていない時期の記録を含んでおり、当時の戦争の様相を把握するのに貴重な資料になるものとみられる。簡札は明国水軍提督の陳リンが合流する8日前の1598年7月8日に作成された。海軍士官学校博物館企画研究室長のイ・サンフン教授は10日、壬辰倭乱勃発420周年韓中ワークショップで「李舜臣簡札に見られる明水軍の参戦初期様相」という論文を通じてこうした内容を発表する。


簡札によれば陳リンが合流する以前にすでに季金が率いる明の水軍の先発隊が到着しており、李舜臣は彼らの接待と連合作戦の構想で忙しい日々を送っていた。李舜臣は手紙で「明の将帥が滞在する所のことで忙しく、合わせて腹を壊して体が楽ではなくて苦しい」とつづった。

明の将帥の接待のため朝廷から官吏だけでなく地域の有力な儒学者らも動員されたという事実も確認できる。イ教授は「手紙の受信者は明らかになっていないが、明軍の接待のための物品支援を担当した総監司の韓孝純に送った手紙である可能性が大きい」と明らかにした。



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