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韓国の古墳が語る、「任那日本府説」は虚構

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

全羅南道順天雲坪里(チョンラナムド・スンチョン・ウンピョンリ)の古墳群で、日本の「任那日本府説」に反論できる大伽耶系遺物が大量に出土した。写真は発掘された大伽耶系土器。日本は雲坪里の古墳群がある沙陀(順天の昔の地名)を任那四県の一つと主張したが、今回の発掘で虚構であることが明らかになった。韓国考古学界は、任那四県は大伽耶の支配を受けた4つの地域(地図上の大使・帯沙、現在の順天・光陽䖁麗水)に限られたとみている。[写真=順天大博物館]

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全羅南道順天雲坪里(チョンラナムド・スンチョン・ウンピョンリ)の古墳群で、日本の「任那日本府説」の虚構を立証する遺物が大量に出土した。一部の日本の学者が主張してきた「任那四県」地域で、大伽耶系の遺物だけが出土し、日本系の遺物は全く出てこなかったからだ。

順天大学博物館(館長カン・ソンホ)は順天市西面(ソミョン)の雲坪里古墳群に対する第3次発掘調査で、伽耶系の古塚古墳2基から、大伽耶系の遺物200余点を発掘したと20日、明らかにした。発掘された純金製耳飾、馬具類、大刀、土器類、玉などはほとんど6世紀ごろの大伽耶系の遺物と確認された。湖南(ホナム)東部をはじめとする伽耶地域を日本が支配したという任那日本府説が、後代に操作されたことを立証する決定的な証拠だ。

雲坪里古墳群は日本が主張してきた「任那四県」の一つの沙陀(順天の昔の地名)に属している。全羅南道東部地域では唯一、古塚が残っている伽耶系の古墳群で、06年と08年に続いて3度目の発掘作業が行われた。今回発掘された古塚は、百済が全羅南道東部圏を掌握する直前の西暦500年ごろの順天地域の支配層の墓と確認された。


慶北(キョンブク)大のパク・チョンス教授は「今回の発掘は、任那日本府が栄山江(ヨンサンガン)流域まであったという一部の日本学者の主張を正面から覆す結果」とし「この日本学者らの主張通りなら、日本上流層と頻繁な交流をした沙陀の支配層の墓から日本の遺物が全く発見されないというのは、彼らの主張が虚構であることを示す決定的な証拠」と述べた。

その間、韓国国内の古代史学界は、「任那四県」を大伽耶の領域である全羅南道の順天・光陽(クァンヤン)・麗水(ヨス)と見なしてきた。したがって順天大の今回の発掘は、国内史学界の見解を考古学的に証明する成果を残したという評価を受けている。

イ・ドンヒ順天大学芸研究室長は「雲坪里の発掘を通じて、日本が主張してきた任那四県が大伽耶の連盟体の4つの地域であったことが明らかになった」とし「およそ4年間にわたる発掘で、任那四県の位置と内容が操作されたことを証明する成果を出した」と述べた。

順天市はこの日、諮問会議を開き、雲坪里遺跡について国家文化財への指定を申請することを決めた。

◇任那日本府説=4世紀半ばから6世紀半ば、日本の大和政権が韓半島南部地域に進出し、百済・新羅・伽耶を支配したという主張。『日本書紀』の6世紀始めの記録に出てきた「任那四県を百済に割譲した」という内容に基づいた日本の代表的な歴史歪曲の一つ。



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